後ろめたさ
最近、ワイドショーを賑わしている「正論おじさん」
こんな「正論おじさん」なんてネーミングを付けちゃうものだから、市民権を得ちゃったとばかりに、このおじさん、今後益々エスカレートするんじゃないかな。
正論を振りかざすという言葉があります。
昔から、正しいことでも・・・というか、正しいからこそ、少し、引いた態度で居るべきと、私は母に教えられました。
母のいつも言っていた言葉。
バカの大声、利口の小声。
これは、単なる声のボリュームの話ではなく、本当の利口は、世の中、色んな意見があるという観点に立つと、必ず反対の意見や見方はあるはずということです。
と、いう事は反論者の立場の人もきっといるはずだから、「自分の意見を否定された」と言う人の気持ちも慮って、正論を言うべきという事です。
この三重県の89歳の男性は、持論を大声で唱え、少しでも違反をしている人には、暖簾は外し、看板は移動し、お店にはお客様が居ようが、ドカドカ踏み込んでいく。
自分の意見は正しいという事で、何をしても良いという態度は間違っています。
これは、一般の道でもよくある事ですが、駐輪所じゃないところに長時間置かれた自転車だって、そうです。
道路わきに所狭しと置かれた自転車だって、人の物ですから、それを他人が簡単に移動したりは出来ません。ある種の資格を持った人が張り紙を貼って、移動先を知らせています。
車だってそうです。
確かに、違法駐車をしていたら、迷惑駐車です。駐車違反切符を発行するのは、そういった黄緑色の服を着た職員か警察しか出来ません。
一般の人が、駐車違反切符は貼れません。
でも、人の家の前などに長時間、無断で駐車された場合は、警察に連絡すれば、迷惑駐車や、違法駐車で、警察が対処してくれます。
いくら目の前や家の前に迷惑な車があっても、それを私達が、勝手にはどうも出来ないのです。
この制度のハザマで、私達は色々不自由をしていますが、この正論おじさんは、店のものを勝手に移動しています。
自分の正義は全ての権限が与えられていると思っています。
もし、本当にこのおじさんが商店街の美化や迷惑看板等を排除したいなら、このおじさんが警察に訴えていくという手順をふまないといけません。
何なら、市民の署名を集めて、商店街美化運動を推進していけばいいのですが、いかんせんそれに賛同する人は恐らくいないだろうし、それを先導できる人徳はありません。
ま、署名活動なんて時間の掛かる事より、自分が先導切って動いているつもりでも、悲しいから、彼に賛同者はいません。
要は、孤独な反撃者になってしまっています。
言っている事は正しくても、手段が間違っています。
これが、私の相談者の話しにもよく見られることで、夫の携帯をのぞき見て、浮気を発見した場合、夫にそれを告げたら、途端に夫は正論で反撃をします。
「人の携帯を見るなんて、卑劣な行為だ」と話をすりかえます。
これは自分に掛かる罪?の矛先を他にすりかえているのです。
でも実際に一番悪いのは、浮気をする夫であり、何も無ければ、妻も携帯を見る事はなかったという事になります。
この理論から言うと、確かに三重の商店街の事も、道にせり出した看板が悪いという事になりますが、これは浮気の話とは少し違います。
何故なら、妻が夫の携帯をのぞき見たという事の方が、浮気より悪いという事に、話をすりかえているに過ぎません。
つまり内心は、自分の事が悪いと解っているからこそ、話をすりかえているので、正論おじさんとは少し違います。
その点から言うと、この正論おじさんは自分を悪いとは一つも思っていません。
ここが一番、いけないところです。
例え自分の考えが正しいと思っても、その主張の仕方が間違っていれば、迷惑を掛けている人が居るという事に気付かないといけないのです。
これが冒頭に書きました、正しい事を主張するときは、控えめにという意味で、夫婦の場合は、一対一で向き合った形で
「俺が(私が)正しい」と、声高に言ってしまうと、相手を間違っていると言っているのと同意語になります。
だから、正しい事は半分に・・・・という意味なのです。
ある意味看板をせり出すのも迷惑行為。
しかし、それを簡単に人が移動したり、何なら蹴ったりしている自分の事を、何も振り返っていません。
それほど、自分の事しか考えてないというこのおじさんを「正論」などと持ち上げると、益々このおじさんは、うぬぼれてしまいます。
つまり、このおじさんは、こうした事でしか人と関われない人なのです。
これはエキサイトメーカーと言って、人と、友好な関係を築く事は苦手で、どちらかというと、人とはもめる事で関わりを持つという快感を得ています。
簡単な言葉でいうと、目立ちたがりで、商店街に意見をするという「物申す」でしか、関われないのです。
言うなれば、正論などとではなく、物申すおじさんです。
何なら、イチャモンおじさんです。
もし、このおじさんを商店街の美化推進会長などに、立候補し、市民の民意を受けて、商店街に意見をするなら、もっと、優しく話し合いという手段で、相手の商売の邪魔にならない時間帯に、前もって約束をしてから出向くでしょう。そして、もっと温和に話を進めるでしょう。
こうしたことが出来ないこのおじさんは、ある意味、孤独なのだと思います。
だから、テレビ局も、若い美人のアナウンサー等を使ってインタビューをするのは止めましょう。若い女性と話せるだけで、もう内心嬉しくって仕方がないのです。
日中このおじさんの放送を見ていて、私なら店の前に、中には一人運転手は残し(ここは合法的にする為です)ドカーンといかつい外車を停めます。
そして、中からは、反社会派的に見える、ゴリゴリのその世界の人に駐車禁止をさせるとか。
または、自転車を乗って来て、店の前に、迷惑な駐輪をさせます。
その自転車の持ち主は、これまたゴリゴリの反社会風のいでたちの人。
この正論おじさん、こうしたヤ◎ザ風の人にも、差別無く、正々堂々と立ち向かっていくか、実験をしたいものです。
そんな妄想をしている今日、この頃です。
では今日はここまで。