愛情のケチ
都立高校で、生活指導担当の50代の男性教諭が、高校1年の男子生徒(16)の顔を殴るなどの体罰を加えていたこと「ユーチューブ」に投稿され会員制交流サイト「ツイッター」で拡散されました。
その後、一方的に教師が悪者になる傾向に生徒達が救済の署名活動に発展しています。
教諭に「小さい脳みそでよく考えろよ」などの挑発をし「ツイッターで炎上させるぞ」等の男子生徒の目的が記録された画像が追って投稿されました。
生徒間では正しい自序能力働いているのに、校長は「男子生徒は何の非もない」とわざわざ発表しました。
「如何なる理由でも体罰は・・・」の前提で、処分が決まっていくと思うが、都教委や、学校側の姿勢もどうあるべきかも問われる案件なのだと思います。
大人の腰の引け方に対し、子供達の判断や勇気。これは大きく差を開けました。
本当は問題をシンプルに2つに分けて考えるべきと私は思います。
先生への処分。
そして生徒にも生徒としての資格は問われるという問題。
この2つに分けて考えるべきで生徒には「100ゼロ」なんて事はないと教えないといけません。
体罰は、世に言う暴力事件だとするなら、刑事罰的に言うと、犯罪として処罰されます、しかしその前に罪の度合いを決めるのは現場の状況は加味されます。例えば殺人事件を犯した犯人の不幸な生い立ちが人格形成に影を落としたというように、若干の同情という情状酌量されるように、その事件に至る背景などは罪を決める為の情報です。
先生としての品格や、資質は問われながらの処分だと思います。
それに引き換え、生徒はどうだというと100対0ではないと思います。
生徒としての資質の問題です。無抵抗と判った上での教師への口の暴力も攻撃の一種です。
弱いものいじめという、いじめの構図です。
先生は生活指導の先生ですから、生徒はピアスをしていたので、あくまでも校則違反です。
高校生という事で、義務教育ではありませんので、校則に従えないなら、学校に通う資格はありません。
実際 私が高校生の時に、時代遅れの理不尽な校則も沢山ありました。生徒はそういう窮屈な現場で、色々な抵抗はしましたが、今に思うと、社会との戦いであったと思います。
髪の毛を染めたい人は、夏休みに思いっきり茶髪にしてました。
それでも堂々とパーマを掛ける生徒は、真っ黒に染め直すまで、登校は許されませんでした。
校則に添えない生徒は,停学になったり、退学になったりしていましたから、生徒にも処分は下りました。
校則が絶対正しいとは言いませんが、その枠の中で生きるというのは、そういう事だと学びました。
今回の事件は、そういうルール違反を見守る生活指導の先生ですから、もう暴力を振るった時点で、「教師を辞めざるを得ないだろう」と、腹をくくった声が私には聞こえました。
彼は覚悟とは言いませんが、くびになっても仕方がないだろうという悲しい諦めをした瞬間だと思います。
警官で言えば、「殉職」のようなもの。
現場には色んな人がいるように、生徒は未成年と言うだけで、すべて守られると言うのでは、生活指導なんてできません。
何故なら、本来生活は、家庭の中で基礎が作られるもので、家庭での仕上がりがこんな生徒で、最後のお尻を学校に持ってこられて、最後は先生の罪と言うなら、家庭の親は何をしているのか?と思います。
通り一遍等に「暴力反対」というのは簡単ですが、雑すぎると私は思います。
また「生徒だから守られる絶対的な存在」と言う過保護では本当の教育なんて出来ません。
色々な状況は考慮しながら、シンプルに整理していく必要があります。
先生は、確かに理性を欠いた行動ですから、その処分はあるでしょうけれど、彼を殉職させてはいけません。
生徒は、校則違反は明白で、先生に対する口の利き方ではありません。
生徒として、学校や先生を侮辱し、「ユーチューブで拡散」を目的としたというのは学校に対しての名誉既存に当たります。
生徒指導の先生を炊きつけ、計画的にユーチューブ拡散したなら、停学とまでは行かなくて、何らか反省文のレポートくらいは提出させ、今回の事件の顛末を振り返らないと、生徒のためにはならず、何のための教育機関か?という事です。
先生にも、生徒にも、人生勉強。
と、一応綺麗ごとで、私は締めくくっておきますが、実際、口で言っても、理解し合えない人間なんて沢山います。
家庭内の夫婦間で理解しあえない場合は夫婦喧嘩になります。
国家間で理解し合えない場合の喧嘩は、悲しい戦争になりました。
でも日本から大切な人をラチして行った北の国とは、話し合いという交渉を続けていますが、こういう相手に判ってもらえるのか?
日本は戦争はしない国です。もう、安倍総理の手は、殴ってやりたくてグーの形になっているのに手が出せない悔しさ。
それが話し合いという手段に頼るしかない閉塞感はありますね。
そもそも口で言って判る相手なら、ラチなんてしないし・・・・
どこの社会にも色んな人がいますから、今回の生徒も「色んな人」の予備軍です。
今は この生徒が、この件で、のけ者になる事もあります。つまり生徒間のハラスメントを呼び起こさないかと心配です。
この暴力事件を見ている生徒は、実は大人の解決策を見て、大人をどう思うか?
生徒たちはその他の先生にも尊敬に値する先生かを見ています。
ここで大人の大きさを見せてあげることが、真の教育だと思います。
では今日はここまで。