後ろめたさ
口を酸っぱくして言ってきて・・・・
酸っぱくなって、酸っぱくなって・・・・
苦味さえ出てきている、ワード。
「夫の浮気、しばらく様子を見る」です。
様子を見ると言う言葉は都合のいい言葉です。
今、何も出来ない自分が、如何にも静観視するような言葉ですが、
実はどうしていいかわからないだけ。
医者だって、「しばらく様子を見ましょう」と言うのは
暫く時間が経てば、その病状が、どう変化をするかを知っているから
経過後の結果を見たいというのが「時間を下さい」という意味の「様子を見ましょう」です。
つまり様子を見るという事は時間経過の結果を知っている人のみが、言ってもいい言葉です。
あなたの親友や知人が「様子を見てみたら?」というのは、その相談の答えが無い時の断り文句に等しい。
だから、あなたの親友も、人の人生に関わる事に、責任のある言葉を言いたくないのです。
では、私が何故、人の人生に進言するようなお節介をしているのでしょうか?
それは 私の仕事だからです。
下世話な言い方をすれば これでお金を貰っているので 自分の言葉に責任を負う仕事です。
でも、ここで勘違いはしないでください。
私の言葉には責任はありますが、結果を保障するものではありません。
こんな風に書くと、私の逃げのように感じるかもしれませんが 私は出来ない事は出来ないと言います。
貴女が、どれだけ夫とやり直したいと思っても、手遅れで有る場合は、手遅れとはっきり言います。
それが言葉への責任という事です。
でも親友なら、そんな恨まれるような事を言って、貴女を傷つけたくないのです。
だから、「様子を見たら?」と言って、その場を逃れるだけです。
何故なら それは親友だから。
では言葉の責任と、保障の違いは?
それは 私がどれほど、こういう風にすべき・・・とカウンセリングでアドバイスしても
出来ない人はいます。
いくらカウンセリング中に、うなづいて聞いていても、家に帰れば 元の自分に戻り、
夫に、あれこれ詮索し、嫌な事を言ってしまう貴女がいます。
それでは何も変わりません。
そうです・・・・・
私がいくら、○○が良いと言ったところで、貴女は、変われない自分がいるし、何なら変わりたくないのです。
これでは現状は何も変わりませんが、逆に言うと、カウンセリングをすることで、自分が何に拘っているかが、解るようになります。
もっと言えば、何故自分が変わりたくないか、その正体が分かります。
いくらいいアイデアを貰ったとしても、そのアイデアを生かす気持ちがないなら、何の役にも立ちませんが、本当に知らないといけない事はアイデアではなく、そこに居続けようとする自分の心です。
私は貴女がコロッと変わるような、おまじないは出来ません。
でも、変われないなら、何故変われないかの、自分の中にある弱さや、逆に強さを知る事は大切です。
私には、言葉の責任があると書いたけれど、それは良い結果を保障するというような、ことばのマジックは使わないという責任感です。
一見、耳障りの良い言葉で、慰めるような優しさはないですが、嫌われてもいいから現実の話をします。
女性は、占いが大好きです。
当るか、当たらぬか、より、占いが好きなので、高額見料を払ってでも、見てもらい、当たっていようが、当たっていまいが、何故か損をしたような気がしないらしく、これが不思議です。
つまり、当たっているとその場は、賛同し、共鳴しても、将来、違う結果が出たとしても、占いで出た結果と違っていても、それは、別に不思議に思わないし、占い師だって、ナニの責任も取らないのです
何故でしょうか?
それは、相談者は自分の話を聞いてもらって、「先はよくなりますよ」と言って貰った安心感です。
でも、先の結果が悪くても、何も占い師も責めません。
誰にも、責任はないのです。
それは何故でしょうか?
占いの答えは、全て、暦にあるからです。
星や月や、干支や、これらすべて、暦です。
暦はすべて、宇宙のもの。
だから、占い師は悪くない!!
全ての責任は 天にあり!なのです。
中国4千年の歴史に書かれてあるから、占い師はそれを解読し、相談者に伝えてるにすぎない。
宇宙は、変動します。
高々、人間が生きている80年何て、宇宙の中では瞬きにもならない単位。
そこで、何が起きようが、変化しようが、現世で、解るはずがない・・・・
何て書いていくと、私は占い崇拝者のようになるけれど、話を元に戻すと
あの2000年になる時、色んな預言者が、色んな事を言いました。
その結果、特に何も起こらなかったら それはそれでよかったね、でおしまいです。
「ノストラダムスだって、嘘ついたじゃん」・・・・なんて誰も責めません。
つまり、占い師は単なるメッセンジャーとして、言葉には、責任を持たないのです。
もし、占いが万能であれば、これから先の「読み」はAIで充分なのです。
そういう意味からすると、私は言葉に責任を感じながら、多少に耳には痛い事もお伝えしないといけません。
でも、血は流れた人間ですから、それでも何とか出来ないか?と知恵を絞るのが人間の出来る技。
貴女は、今、起きている事象や事柄に対し、「宇宙」からの答えを聞きたいですか?
宇宙なら、星回りが良くなれば、またいつか、良い事が訪れます。
大殺界も暦をめくれば、過ぎ去るかもしれない。
要は暦というカレンダーに、貴女の人生を問うのは自由です。
占いを好むのは、人それぞれですから それまでを批判するつもりはありません。
現に 私も朝のテレビ番組で、今日のラッキーカラーくらいは、朝食を取りながら見ますしね。
お楽しみ程度なら、占いもいいのですが貴女の人生の岐路、星の流れに身を任せて、大殺界を抜けるのを
待つだけなら、どんな事も、指をくわえてみているしかないという事になります。
今日の私のコラムは、占い師さんをディすってる話ではありません。
さっきも書きましたが、占いは私も嫌いではありません。
飛行機に乗る時には 天に命を預けます。
サイコロを振る時も、運を祈りもします。
ただ現実に、今の貴女の足元に、火事の火が迫って来ているのに、天を見上げて、時間の通り過ぎるのを見るだけというのは、如何なものか?という私の心配です。
昨日、東急ハンズの手帳売り場に行くと、来年の手帳が沢山並べられてありました。
もうそんな季節なのですね。
暦も手帳には書いてありますので、この文明社会でも、大安や、仏滅やらと書いてあります。
来年は、元号も変わり、祝日も加わるのに、カレンダーの印刷会社なんかはどうするのかな?
なんて、余所の心配までしながら・・・
実は手帳が大好き。
普段は、T手帳というのを使っていますが、毎年新たなタイプも加わり、この季節、手帳を選ぶのが一つの楽しみ。
そこで来年の手帳は、ちょっと違うのにしてみました。
手帳一つとっても、好みって違いますよね。
私はとにかく、5ミリ以下の字が書けないので、文字入れの枠が大きく取ってあるのが好き。
また一日のスケジュールも重なる事があり、一日の枠を大きく取って、ページ数は多いのに、その癖コンパクトな手帳が好きと来ているから、中々、見つからなかったけど、探せばあるものですね。
来年は、良い年になりますように・・・・
あ、これも、天に祈っているようなものか・・・・
では今日はここまで。