愛情のケチ
残念ですね、良い俳優さんでした。
演技をすれば渋いし、バラエティーに出ると、関西弁で話す彼の地が出て、とても親しみやすい。
そして、ただ明るいだけではなく、とても繊細な心使いをされる方という彼の人柄を皆が語ります。
でも、私は人の死に時々思うのですが、人からは愛され、長患いをせず、ポクッと亡くなるという事はある意味、その故人は幸せなんじゃないかと。
確かに、思い残す事もあったかもしれませんし、まだ叶えてない目標や夢は、あったかもしれません。
こんな急に亡くなるなんて、彼自身も心の準備もなく、家族には伝えたい事も言えないままなら、無念だと思います。
しかし、どれだけ考えても、周りが納得できなくても、彼が死んだという事実は変わらない。
これを寿命とか運命と思うしか、仕方がない。
世の中、悪い事をして、人を苦しめ、嘘をついて平気な人が意外と長生きしています。
もしかしたら、人を苦しめても平気なくらいの悪党の方が鈍感で、長生きできるのかもしれない。
そう思うと、神様は不公平ですね。
ところで、私も結婚していた時に、ふと考えた事があります。
色々夫の事で苦しみ、その夫を憎む私が自分自身も大嫌いでした。
今にして思うと、その苦しみから逃れたいばかりに、「いっそ、今夫が死んでくれたら、夫の悪戯をすべて許してあげられるのに」と、不謹慎な事を考えたりしました。
人の命をこんな風に考えるのは善くない事と、今なら分かります。
でも、当時の私は、「罪を憎んで人を憎まず」にしたかったのだと思います。
元夫だって、良いところはいっぱいあります。そりゃ私が一度は好きになって結婚したのですから。
だから良いところだけを思い出とする為に、今ここで死んでくれたら、全部流してあげようと思うくらい苦しかった。
そんなひどい事を考えるくらい、当時の私は鬼と化していました。
そして、また夫を許せる日が来るとは思えず、この苦しみはいつまで続くのか、真っ暗な出口のないトンネルにおいてけぼりになっていました。
この傷が癒える時は来ないとすら絶望していました。
でも、これを読んでいる方、どうか不安があるなら、希望があると信じて下さい。
人の傷は、いつまでも同じ状態ではありません。
絶対に、傷は癒えます。
それには日にち薬という時間が必要ですが、いつまで苦しみは続くのかと不安にならないでください。
きっと、気が付けば、気が楽になっているな、と感じる日は来ますから。
時間というのは、そういうものです。
身内や大切な友人を失くして、泣いて、嘆いて、いつになればこの苦しみから抜け出せるのかと絶望の淵にあってもかとお思いでしょう。
でも大丈夫です。
きっと、時間が嘆きを取り除いてくれます。
でも、逆に落ち着いた中で、その人の死を受け留めると、別の悲しみはあるのですが、直後のような激しい悲しみは解放されます。
元夫の悪戯さで、もう二度と幸せになんかなれないと、当時の私は決めつけていましたが、大丈夫です。
種類は違うけれど、ある意味、今が一番幸せと感じられています。
このコラムを読んでくださっている方。
何度も言いますが、その苦しみは、いつまでも同じ形では続きませんから、きっと軽減される日がくるので、希望を捨てないで下さいね。
そして・・・・天国に召された人々。
そちらでは、ゆったりお過ごし下さい。
大杉漣さん、安らかにお眠り下さい、あなたは多くの方から愛されました。
合掌