愛情のケチ
私のところに相談に来られる妻が、絶対に口にされる言葉。
「夫の浮気を疑い、やってはいけない事ですが、スマホのメールを見てしまいました」と。
ご主人の浮気はどうやって分かりましたか?という私の質問に、とても申し訳なさそうに、夫のメールを盗み見した事を白状されます。
私にしたら、疑わしき事を確認する為に、携帯のチェックくらいは、確認行為として当たりまえなのに、とても恥ずかしい事をしたというように、反省を込め、告げられます。
大丈夫ですよ。
私は、猜疑心に駆られ、居ても立っても居られなくて、確認をした事は何も悪いことではないと思っていますから、そんなに自分を恥じる事はない。
それに引き換え、浮気した張本人、つまり夫という生き物は、浮気をした事を恥じている人は、いません。
これはもう公式のようなものです。
変な公式ですが、浮気をした張本人は反省もしていないのに、浮気をされた妻の方は、それを疑った事を恥と思っているのです。
そして、もうひとつ、付け加えておくと、意外と浮気をした張本人は後になってこの話をするとその当時の事は覚えてないのに、妻の方は、走馬灯のように蘇るというのです。
これも、公式なのです。
傷を負ったものは、感受性が豊かになり、人に傷を与える事をとても心配しているのです。
反対に、浮気をした夫の方はと言うと、
「遊びだった」
「魔が差した」
「妻が優しくしてくれなかったから」と
自己弁護で必死です。
この違いは・・・・・
浮気をした事は、傷ではないからです。
私の相談の中で、時々、浮気をした後の夫側から夫婦関係修復の相談を受けます。
でも、男性の口から、妻に対して、
「裏切った」という言葉は聞いたことがありません。
つまり、公式というのは、浮気問題は、裏切った者と裏切られた者の組み合わせです。
そして裏切った者は、案外鈍感で、裏切られた者の方が、人の痛みを知っているという公式です。
悲しいことですね。
中には、全く違うケースもありますが、それは例外で、少数派です。
夫婦は合わせ鏡。
どちらかだけが一方的に悪いわけではありません。
でも、妻が子供に手を取られ、夫をほったらかしたって、良いじゃないですか。
一生、続くわけではないのに・・・・・
だって、誰の子供ですか?
よそのおっさんの子供ならいざ知らず、夫の子供ですよ。
一生のうちの少しの時間くらい、子供にママを貸してあげたらいいじゃないですか?
それをちょっと、子供に気を取られたからって、妻に、浮気で仕返しをしないといけませんか?
と、ここまでは夫側への説教モードでしたが、ここからは妻側に向いて言います。
子育ての名を借りて、夫に仕返しするんじゃない。
確かに、妻の家事も育児も協力的ではない夫かもしれませんが、いいじゃないですか。
仕事を一生懸命にしてたら、正直言って、家に帰って家事なんてしたくないですよ。
それは妻のあなただって、同じでしょ?
手抜きできるならしたいでしょ?
それを出来ないからって、夫の非協力を怒る前に、妻だってそんなに全力で家事をしてないくらいは自分で解っているでしょ?
いいんです。
夫が協力してくれないからって、喧嘩をしてまでやる家事なんて・・・・・
夫だってサボりたい
妻だって手抜きしたい。
それをお互いのことを責めてばかりいると、そりゃ夫婦は歩み寄れません。
ここで大切な事は共感性です。
子供が一歳なら、夫も妻もパパ、ママ、1歳なのです。
未熟であたりまえ。
完璧にできなくて当たりまえ。
でも、せめて、お互いにお互いが大変なんだろうな~と共感しあう事だけでもしたら、大ごとにはなりません。
家事が出来て、家が整理整頓され、洗濯物もきちんと畳めていたら、それが良い事ですか?
子育てで、家がひっくり返っているなんて、長い人生で言うと、ほんの一時期のことです。
家事や育児をする為に、お互いを傷つけあうなんて、本末転倒。
妻に告ぐ。
八つ当たりしなさんな。
妻が髪の毛振り乱して、家の家事を頑張って、八つ当たりするなら、夫も余所見をしますよ。
いまだから、私も解るのですが、何故か、しんどくなると相手に意地悪な気持ちが沸いてしまうのが女性特有のヒステリックなのです。
何故か、女性って、自分の事を解ってくれないと思うと、解ってもらう努力の前に意地悪をしてしまうのです。
家事が出来ない夫を責めてはいけません。
貴女より、洗い物が下手な夫を