愛情のケチ
実は、私は今、あまり怖いものがないのです。
でも、そんな私も若い頃は怖いものが沢山ありましたし、目に見えないものにも怯えていた時期がありました。
しかし、その後、色んな経験を経て、たいていの事は怖くなくなってしまったのです。
そんな風に言うと、相談に来られる女性は皆、「うらやましい」と、私の強さを称えて下さいます。
だから、悩みの渦中にある相談者は、苦しみから抜け切った私をうらやましいと思って下さいますが
それは一通りの事を体験したからであって、何もなくて、これだけ強くなれた訳ではありません。
なので、この強さは、今、相談者は避けて通りたいと思っている事を経験した後の逞しさなのですから、
そういう経験をしたいですか?と言うのが 私の気持ちです。
よく若い頃には買ってでも苦労をしろと言う言葉がありますが、果たしてそうでしょうか?
私は出来れば苦労はしたく無いし、何も知らずにノホホ~ンと、暮らす幸せって良いものだと思います。
苦労は誰しも鍛える事ではなく、その苦労で心身をすり減らし、ただただ疲弊してしまう人がいます。
苦労を糧に強くなれる人ばかりじゃないのです。
苦労をした事がない人が、苦労の結果、逞しくなった私をうらやましいと言って下さる事は感謝しますが、その逞しさの前に、必ず苦労があるという事を知っておいて下さい。
離婚をする恐怖
母子家庭になる経済的苦しさ
一人ぼっちになるという孤独
二度と人を愛せなくなるのではないかという恐怖
そして、二度と幸せになれないのではと思う絶望感
それらすべてを味わったから強くなれたのです。
この時代では考えられない貧乏も味わったから、今の仕事の原動力があるのです。
おかげさまで、今は、好きな物くらいは食べられる暮らしをしています。
でも、これは、どん底を見たから、何も怖いもの無しになりました。
その結果の逞しさってうらやましいですか?
自分で仕事をして、自立出来ている私を逞しいと思ってくださる方は多いですがそれは地獄を見たから出来上がった逞しさです。
だから、貴女が逞しく仕事をしたいというなら、それは地獄体験も同時にセットされていると覚悟が必要です。私の逞しさの理由は、キッコーマンの醤油を買った時についてくるおしゃれ小鉢のように、苦労ももれなくおまけで、ついてくるのです。
そういう事を判った上での羨望はいいのですが、地獄体験は抜きにして強さだけを欲しいと願うのは
ちょっと違う。
苦労をしたら、誰しも強くなれるものではありません。
その人の許容量によっては、ただ単にくたびれてしまうだけで終る人もいるのです。
だから、私は相談者には出来るだけ苦労なんてせず、苦労になる事を避けてください、と言っています。
昔、昔、あるご高齢の女性とお話する機会がありました。
その女性もおっしゃっていたのは、お化けも幽霊も何もいない、長年生きているけど、見たことがない。
だから何も、そういうものを怖いと思わないけれど、生きた人間が一番怖いといわれていました。
人は生きていく中で、色んな人と関わります。
「私はこう思う」と言っても、それはその人の考えた常識です。
いくら愛していると思っても、過ぎたるは及ばざるが如しで、相手に通じなければ意味がありません。
結婚するときには、寄り添いながら一緒に生きていけると信じるのですが、二本のレールのように、少しでも平行じゃないと、始まりが1ミリでも狂っていたら、先に行けば行くほど、そのレールの距離は離れて行きます。
少し、違うな、と思った時に微調整をしておけば、最後にそんなに離れなくて済むのですが、点検を怠ると、気がついたときには軌道修正も出来なくなっているという訳です。
トコトンまで、こじれて、最終時点で、何かをするより、夫婦の早期点検をしておきましょう。
では今日はここまで。