後ろめたさ
また、幼い子供が大人の犠牲になるという痛ましい事故がおきました。
千葉県松戸市の小学3年、レェ・ティ・ニャット・リンさん(9)ちゃん。この殺人・死体遺棄事件で死体遺棄容疑で逮捕された渋谷恭正(やすまさ)容疑者(46)の人物像が見えて来ました。
今日は、この事から、人間の内面について書いていきたいと思います。
もちろん、我々、日常関わっている人たちと、この殺人事件を起こした人物と、混同して語るつまりはありません。しかし、人は表面に見えているものと、別の面もあって、人の見る角度によっては、全く別の人物像があるという事を、例に考えてみたいと思うのです。
・・・・・・・・
渋谷恭正(やすまさ)容疑者について彼を知る人はこう話します。「中学時代のあだ名は「シブ」。同級生は、相手を見下すような渋谷容疑者の発言を覚えている。「だから同世代は嫌だ」「自分はもっとすごいことができる」
千葉県内の県立高校に進んだが、卒業後は不動産を相続するまで飲食店のアルバイトなどを転々としていた。以前の勤務先だった料理店店主は「厨房(ちゅうぼう)担当として働いていたが、1年もたたずに辞めた」と話す。
一方、少女の裸の場面が描かれた成人向けコミック誌を愛読していたといい、一部の知人には「若い子が好き」と性的嗜好(しこう)を明かすこともあったという。
女性が中心だった保護者会に自ら手を挙げて入会するなど「空気が読めない」という評価もあった。女子児童に優しく接する傍ら、男子児童を「ふざけてるんじゃねえぞ」と叱りつける場面も目撃されていた。
「二面性のある人だと思った」。保護者会の女性は、ため息交じりにこう語った。」【産経新聞 4/16(日)参照】
・・・・・・・・
これを読んで、どう思いますか?
こういう事件を起こす人は、とても変わっていて、我々日常の周りにはいない人物で、特殊な話だと思いますか?
私はニュースの三面記事を読んで、毎日起きてくる事件を特殊とか、別の世界の事とは思わないのです。
むしろ、こういう事件は、我々の生活とはかけ離れたことではなく、日常の象徴だと思うのです。
我々が見えているものはごく、一部で、むしろ見えてない事の方が多い。
特に私たちの身近にいる人に対しては、こちらの見る目にバイヤスも掛かって、私達の見たい方向に解釈してしまっていると言えます。
もちろん、この事件に関しては、渋谷容疑者の特異な人間性が起こしたことであるとは思います。しかし周りの評判も含め、その内面は見えなくするように、渋谷容疑者は、色々演出していたと思います。
こういう風に自分を演出する事はよくあることなのです。
私は人と関わる時に、その人が過去、何をしていて、どういう人生を送ってきたか?
少なくとも 歩んできた過去10年は遡らないと、今だけの姿を見ても、それは1点だけしか見てないといえるのです。
松本清張の「点と線」じゃないけれど、点と点がつながれば、そこに線が出来ます。
その線で、最終点を結んでいけば、面になります。その面も一つだけじゃない事、これを多面的と言います。
こういう風に人を見る時に、一点だけをみるのではなく、多面的にみないといけません。
でも人の過去までは、誰にもわかりませんので、今現在の姿から推し量るという事をするしかないのですが その推し量り方というのは、発言の根拠になるものを考えます。
そしてその話の信憑性というものを考えます。
その上で、今の事にどうつながっているのか?それを考えます。
今、見えたり、「そんな風に言っている」と、いう事が本当かどうかを、疑うという意味ではありません。
もう少し、自然な事で、違和感を感じないか?という感覚的なものでいいのです。
それを違和感を感じながら、その人へ自分が貼ったレッテルで、信じ込もうとすることがよくないと知って貰えたら それでいいのです。
今回の渋谷容疑者は、子供の見守り隊をして、登下校の児童を見守って来ました。
普通は、多忙で皆が敬遠がちなPTAの役員を自ら立候補して引き受け、地域に貢献してきました。
これは本当に心からボランティア精神であったら、頭の下がる思いですが、片や渋谷容疑者は身近な人に
「幼い女児を見ると興奮する」と言っていたそうです。
そういう意味でもし、PTA選出時に10年来の知り合いがいたら、今回の事件を予想したかもしれない。
そんな事は、今となっていえることだから現実的には不可能なことであるとは分かります。
しかし、容疑者が何故、そういういい人を演出しないといけなかったか?
ここに今回の問題のヒントがあります。
自分をいい人に見せるための演出。
それは本当はいい人じゃないから演出しないといけないのであって、本当にいい人は演出する必要がないのです。そういう演出に違和感を持った人が、いたことも事実で、そういう感覚は大切だと思います。
それにしても、女子児童に興味を持ちながら、役員を引き受ける。それを隠すために、色々工作する。
よくそんな面倒くさい事をするな、と思うし、普通はそこまで一般人は考え付きません。
でも、色んな面を持つ人は、ストレートに表にそれが見えたら困るのです。だから面倒くさい事をしなければならないのです。
私の所に寄せられる相談は、たいてい妻が思っていた夫の別の面という事から油断をしている間に浮気事件が起きたというものです。思いもしなかった事だと言われます。
むしろ、その浮気が妻も予想をし、日常的に当たり前になっていたら相談に来られないと思うのです。
しかし、わざわざ他府県から新幹線に乗ってでも、相談に来られる妻の人たちは、自分の考えてた夫とは
違う面が現れて、その知らなかった面におののいて相談に来られます。
それは本当に知らなかった面という場合もありますが、実は夫の内面をよく見ていなかったという事もあるのです。よく考えたら分かる事でも、考えたくなかったから、そのザワザワする違和感を蓋して生きてきた結果、
とうとう、抑えきれなくなったと言われます。
こういう場合は、夫が色々選出しています。
実は仕事が忙しいふりをして、残業もするし、休日出勤もする。
しかし実は、それが浮気相手とのデートであったりします。その浮気を継続する為には、仕事が忙しいと妻には演出しないとなりません。
ギャンブルは嫌いだと公言しながら、借金をする夫もいます。
その意味は、そもそもギャンブルで借金をしたことがある場合、その借金を隠すには、ギャンブルをしないと言うことが、だから借金もしないというカモフラージュになると演出をします。
風俗通いは妻には言いたくないものですが、ばれないようにするには「風俗のような場所は嫌いだ」と言ってだから行くわけないでしょ?と妻を信じこませるのです。
こうして我々の日常には、色んな演出が隠れています。
違う自分を演出しないといけないのは 本当の自分を知られてはいけないという防衛です。
これは、どんな人間にも大なり小なりあることで、今回のリンちゃん殺害は、その「大なり」なのです。
何も、私達の周りにこんな痛ましい事件が起きるとは考えたくないです。
もちろん渋谷容疑者と 私達の関わる人間たちは、そこまで突出したことはないでしょう。
でも、私達の周りや、自分の夫に少なくともその「小なり」があるなら、そこは一度立ち止まって
過去の出来事を、思い出してほしいのです。
「今」は必ず、「昔」からの続きです。
その昔を切り捨てたり、消さないといけない場合、今の自分をよく見せようと演出します。
別に、素のままでいいのに、わざわざ、よく見せないといけないのは、実際は「よくない自分」があるからです。
私は正直言って、この渋谷容疑者の事をニュースで知り、母親ならともかく、働き盛りの男性が、ここに関わろうとした事に違和感を覚えました。現に渋谷容疑者を昔から知る人たちは、彼の素を知っている訳ですから、渋谷容疑者がリンちゃんの親が帰国する募金集めをする姿を見て、きっと違和感があったと思います。
これからは夫婦の事でも、全部を見抜けなくても「違和感」があるなら 蓋をしない方がいいと思います。
では今日はここまで。