夫に対して人が変わってしまったと感じる瞬間
私は起きている時間の8割は仕事に関することを考えています。
花を見ても、新聞を読んでも、音楽を聴いても、どこにいても、夫婦の問題に絡めて考えてしまいます。
寝ても覚めてもというより、殆ど病気。
そんな中、テレビに目をやると、大阪の森友学園問題について、国会などでも、各党がバトルを繰り返していますが、そんな国会中継を見ていても、全てが、夫婦の問題に、置き換えてしまいます。
仕事中毒というより人生はどこにでもヒントがあると感じます。
何からでも、物事は学べますし日々精進です。
今にして思えば、私は夫婦で居たとき、あるときくらいから思考が止まっていたと思います。
自分では、悩みもしたし、カウンセラーの所にも行ったけれど、それは相談に行ったというより
自分の思いは間違ってないか、という確認の為で、結局自分の考えで留まり、そこを堂々巡りしていたと思います。
いつまでも、自分の頭の中にある「~べき」という考えに囚われているときは何も、受け入れられませんでしたが、
自分を「妻でもなく、母でもない」立場になった時に本質は見えて来ました。
つまり夫ならこうすべき、妻はこう愛されるべき、父親なら育児に参加できる時間に帰ってくるべき・・・・・とこういう
不満を溜め込んで行き、自分で決め付けて、自分で自分の首を絞めていました。
だから、そういう妻とか母とかの役付けを外して考えたら、本質は見え易くなります。
私の愛する夫と思うと「こんなことするはずがない」と、考えたくなるのですが
他人ならば、「そう言う事もあるな」と思えます。
私もこの仕事をしてから、男性と言う生き物の特性が分って来ました。
よそのおっさんだと思うと客観視できます。
自分を俯瞰視し、夫も俯瞰で見る。
こうすると、本質が見えてきます。
と、いう堅い話はここまでにして、安倍総理の夫婦としての話しを書きます。
妻である安倍昭恵さんは現在、森友学園建設にあたり便宜を図ったか、どうかを国会では議論されています。
籠池氏からの要請を秘書の谷査恵子さんに相談し理事長の籠池氏に対してFAXを送付した内容が取りだたされていいます。
それについて、安倍総理は野党の議員からの質問にいつに無く興奮気味に返答しています。
国会での答弁などには定評のある安倍総理ですが、妻のことに関しては、冷静さを失い、何かあれば退任するとまで言って野党から歓声があがりました。
その頃、ちょうど昭恵さんはある講演に参加していて、夫、安倍晋三さんのことを「夫は最近ストレスが溜まったら、机の上の整理をして、頭をリフレッシュしてます」等と話していました。
私はそのインタビューを見て、この昭恵さんって分ってないなぁと思いました。
この時期ですから多分、安倍さんは「これまでの色んな書類を出せっ!」と怒っていたのだと思います。
だから机の整理と、精一杯の表現をしていますが、昭恵さんが誰とどういうやり取りをしていたか、書面で残っているものや
メール等の通信物を、安倍さんはチェックしたのだと思います。
それはそれは、家庭では荒れたと想像します。
国会では妻を庇う応答をしていますが、まずは自分の総理大臣としての立場も脅かされることになる事を妻がしていたら心中穏やかでないことは分ります。
これには心理学者まで出てきて、ワイドショーなどでは、安倍さんの切れ気味の心理を解析していました。
だから家に帰ったらきっと、この言葉を言っているはず。
「タダでさえ国会が大変なときに余計なことをしやがって」と昭恵さんを叱っているはず。
いくら妻のことは、人に頼まれたら断れない性格と安倍さんが表現しても、家では、妻の危機感の無さにきっと激昂しているはず。
外では妻のしたことを庇う夫婦愛で表現し、家庭内では「要らぬ仕事を増やしてくれた妻」と夫婦喧嘩しているはずです。
それを机の上の整理でストレス解消している夫と言う表現はともかくとして、「今、それを言う?」と、私は首をかしげてしまいました。
いい人なんだろうけれどね。ちょっと鈍感すぎるなあと思ったのは私だけ?
ま、今は外交はないからいいけど、どうも日本人夫婦が外国並みに手をつなぐのはぎこちないとかんじている私は
ひねくれ者でもありますが・・・・
今日は安倍晋三さんの夫としての本音を書きました。
では今日はここまで。
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