夫にこれ以上嫌われたくない?
よく私の所に来られる方で心理学に詳しい方がいます。
言え、詳しいと言うよりある意味心理学が好きなのだと思います。
ともすれば 私でも使わない心理学用語で質問してこられます。
私もこの仕事をしているので心理学と無縁ではいられません。
でも、こんな事を言ったら叱られるかもしれませんが、どうも心理学の門を叩けば
最初は心理学の土壌を作った人や、時代を切り開いた人の学者の勉強をします。
ある意味、ヨーロッパでは心理学者が、思考の主流をリードするような事があり、
その時代のリーダー的な役割にもなっていました。
現代の政治家のような役割かもしれませんが、人々の傾倒は時代によって宗教家であったり心理学者であったりするのかもしれません。
だから心理学の扉を開ければ、まずはアドラーだのフロイトだのロジャースだのと、歴史から入るので、なかなか本当の中身に入れませんし、そこに到達した時点で、私などはあくびをしていました。
だから心理学ではあまり深いところは知らないのです。
でも 今では それを深く研究しなくてよかった、と思っています。
何故なら、そこをやり出したら、奥が深すぎて、いつまで経っても、自信とか、結論とかにはたどり着けない気がしたのです。深く勉強すればするほど、ゴールが遠のく感じがして、あまり固執せず、色んな世界を見た方が、心理学だけ一本を深めると、逆に広い視野が持てなくなる気がして、そこそこにしてその世界から抜き出てきました。
そういう意味で自分の興味のある部分だけを、つまみ食いでいいのだと思います。
では、そんな中で、私が興味があるのは、受け止めと受け入れです。
受け入れとは、所謂、受容ということです。
例えばパートナーが、無理難題を言ってきているとします。
それを、一応聞いておく、というのが受け止めたよ、という事です。
でも そんな無理難題を言ってきているのを、どうしたらいいか?という風にその相手からの要求を
どうして叶えたらいいのだろうと考えるようになります。
しかし、それは無理難題と思うなら、それに対してどうしようと考える必要はなく、何故そんな無理難題を言ってくるのだかろうかという背景やパートナーの本音を考えればいいのです。
「妻を女性として見れなくなった、だからしばらく距離を置いて別居しよう」と言ったとします。
そしたら、女性として見てもらうようにはどうしたらいいか?と、考えるようになります。
つまり これはご主人の考え方に、共感してしまっているという事なのです。
つまり、妻を女性として見られなくなるというのは、ある種反対語で、これは逆さに読むと
「妻には女を感じないけれど、他に女性として好きな人がいる」と言っているようなものなのです。
「この家には俺の居場所がない」というのは「家以外のところに落ち着く場所、または落ち着く人がいる」という代名詞。
そりゃ、そうです。
嘘を付まくって、浮気をしていたら、家ではいつ尻尾を掴まれるかヒヤヒヤしてるのです。
だから、家は落ち着かないのです。
その為に別居を言いだします。
別居は離婚の予行演習です。
もっと言えば ダイレクトに離婚をしようと言っているのは予行演習無しの、ぶっつけ本番で離婚へ行こうということですから、そういう夫のいう事は「俺は今まで耐えてきた。君はもう変われない、だから離婚だ・・・・」って・・・・・
口に出した時点で、もう終わりだなんて・・・こんな卑怯な話はないですよね。
でも、いくら卑怯だと罵ったところで 夫は妻によく思われたいなんて思ってないわけですから、そういう事をいう時点で、家庭に軸足は掛かってないという事です。
そうなると、妻に女性として見られるにはどうしたらいいかという向上心は、あまり役にたちません。
何故、そこまでして家庭を捨てるような事をするのか?と裏を読むと、そこはストレートに「他に好きな人がいる」という事が分かります。
そうした夫に、「分かった」という言葉は危険です。
妻がそれを受け入れたと勘違いをしてしまうと、ご主人は、離婚の合意を取れたと感じてしまうのです。
夫の希望「妻と一緒に居たくない」という希望を妻が一緒になって考えてあげる必要はないのです。
ですから そういう事を夫が言いだしたときには【一応聞いておくわ】でいいのです。
これが心理学でいう【受け止め】です。
いいんです、受け止めておけば。
野球のボールだって、いったんはグローブで受け止めても、相手に返すでしょ?
受けとめるというのは、拒否をすることだってできるのに、貴女の思考は、夫が家を出たがっているという事について一緒に考えてしまうからおかしくなるのです。
夫が言っている事は、受け止めて、それで気に食わなければ「却下」すればいいのですから、聞いてしまったから、それを受け入れないといけないと言うことはないのです。
相手の言い分を受け止めて、それを納得するなら 受け入れたらいいのです。
受け入れが生理的にも出来ないなら、受け止めただけで跳ね返せばいいのです。
それを別居と言われたからと言って、「じゃ、いつからするの?」なんて夫の口車に乗る必要はないのです。
「とても受け入れる事はできないわ」と言えばいいのです。
これは一応、受け止めて聞く耳は持ったので相手に失礼な事はしていないのです。
でも、聞いた結果、とてもじゃないけど、受け入れられないと意思を示せばいいのです。
これが心理学でいう受け留めと受容です。
下手に勉強すると、まじめに考えすぎて、抵抗や反論を人間関係を悪化させると思いがちです。
こういう専門用語で考え出すと、そこからはみ出るのは、よくないように考えてしまうのですが
嫌な事は嫌と言えばいいのです。
変に心理学にはまってしまうと、まじめに人の言葉に耳を傾ける事がいい事のように考えてしまいますが
無理難題を吹っかけて来る人のいう事は、かわせばいいだけです。
だから、真面目な人があまり真剣に心理学を学ばない方がいいと、私は考えています。
多分、色々悩む内に、色んな本を読み漁り、優等生になっちゃったから、何でも真面目に受け止めすぎてしまうのです。
ご主人の言い分は、俺様の暴君なのですから、それを一緒になって考えるなんて、ナンセンスです。
真面目がいいとは限りません。
と、いう「村越流、なんちゃって心理学講座」でした。
今日はここまで。