今日は大事な話です。
絵馬に何を書きますか?
皆さん、今年の初詣はどんな事を願い、手を合わせましたか?
私は神様には、嘘を付けないタイプです。(当たり前か!)
大晦日には108つの煩悩を捨て、元旦には年頭の誓いをします。
お賽銭箱に10円を投げ入れ、
★家族が健康に過ごせますように
★孫ちゃんがいじめにあいませんように
★いつかカッパドキアに行けますように
と、願掛けします。
時には、真剣な願いの場合は100円にはり込んで
★あまり働かずに仕事が上手くいきますように
★棚からぼた餅風に3億円が落ちてきますように
と、願いの真剣度によっては手を合わせる時間が違います。
友人には「長いっ!いつまで願掛けしてるん?」と言われます。
ちなみに京都には、「縁切り寺」なるものがいくつもあり、祇園近くの「安井神社」は
その筋の人には有名です。
我々、一般人は縁切り寺とは、悪縁を断ち切り、幸せになる為の縁切りだと考えますが
この「縁切り」は、願う立場によって、意味が違ってきます。
場所柄、昔から、花街の「芸子」さんたちが心の奥でひっそり願いこの神社に日参します。
「うちと旦さんと、うまいこといけますように・・・・旦さんと奥さんが縁切れますように・・」
と、願います。
ここもっとリアルに読みたい方は 旦さんを→旦はんと変換して下さるともっと京風になります。
(あ、すんまへん、ここ、拘るとことちゃいますか?)
何が言いたかったというと、神様に願うことって、普通は、「正しい事」であるべきですが、時には
人の願いって、正しくないことだって、叶えたいことはあるのです。
例えば、妻子がある男性と交わした約束
「妻と別れて、君と一緒になるよ、だから待っていてくれ」
という約束は そう言われた愛人には、それが「約束」で約束は守られるべきと考えますが
こういう常識を外した上に交わした約束は、約束として認められません。
これを法律的には「公序良俗に反す」と言って、間違った土台(不倫の上での)の元で交わされた約束は、非常識な約束で、それを履行できないという考え方をします。
つまり、妻子ある男性が、「近々妻と離婚する」と言っても、それを私達は「ピロートーク」と呼びます。
だから、日陰の身の、芸子さんやホステスさんは、神社に行って許されない愛を認めてもらおうとするのです。
京都に沢山ある神社の絵馬には 「どうか彼の奥様が死にますように」というような恐ろしい絵馬もありますが、神様は誰にも平等だから、絵馬には何を書いても自由なのです。
しかし、これは、愛人には愛人の正義があり、妻には妻の正義があるので、立場を変えたら、願い事って、ある意味勝手なものかもしれません。
そういう立場を変えて・・・・という意味でいうと、私のように夫婦を保つ仕事があれば、愛人を守る仕事もあるのです。
あるサイトでは、妻子ある彼を妻から奪うノウハウを説いています。
どうしたら、貴女の不倫を成就させるか?というハウツー本です。
これは妻からすると、とんでもない代物かもしれませんが 立場を変えれば愛人には愛人の正義があるのです。
愛人は妻のあなたの悪口を彼氏からいっぱい聞いているのです。
そして彼は家庭では、冷たい扱いを受け、寂しくて仕方が無いと、愛人に訴えるものですから
愛人はそういう彼を、悪魔のような妻から、救い出してあげたいと腕まくりをしているのです。
だから愛人には愛人の使命があるので、それが正義感にも似た感情になっています。
そこで、ちょっとこの、愛人を応援するサイトの表題を、見てみました。(以下、参考)
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第4章:最初は遊びだった彼が本気になったきっかけ
・遊びの関係からスタート
・それぞれの選択
・ついに奥さんにバレる
・爆発するぐらいなら
・本格的にバレる
・「迎えに行くから」
・彼の話
・耐えきれなくなった奥さん
第5章:「彼の子供を妊娠しました」(彼のインタビュー付き)
・好きだから一緒にいる
・幸せを感じるチカラ
・彼の本心
・今を楽しむことが大事な理由
・まさかの陽性反応
・彼の反応
・彼へのインタビュー
第6章:家庭優先のW不倫が12年越しで実ったお話
・ペースダウンしようと言われて
・「いい加減にしてくれ!」
・彼の家族旅行
・愛されたいと願うほど、愛されなくなる?!
・ぶち壊しにしてしまいました
・「結婚したい」と言われました
・動き出した二人
・・・・・・・・・・・・・
これって、妻の立場からしたら、とんでもないサイトかもしれませんが、愛人からしたら
早く彼を救い出すには?という愛人なりの愛のサイトなのです。
でもね、ここでふと気づいたのです。
これって、愛人向けと読めばそうですが、妻向けとして読むと、かなりのヒントが隠されています。
夫が不倫をしていると、愛人の方に軸足が掛かると、妻と距離をおき出します。
下記は彼が愛人と別れが近いときの、彼と愛人との言動に対してどうしたらいいのか?の答えが書いてあるのかもしれませんが、この時に妻に対して言う文言と一緒なのです。
・ペースダウンしようと言われて
・「いい加減にしてくれ!」
なんて、妻に言う事と一緒です、
妻と離婚をしようと思っている時も、同じような発言をします。
家に真面目に帰る義務はないと言い出したり、妻の問い詰めや詮索に対して
「いい加減にしてくれ!」なのです。
つまり男性は、妻か愛人か、どちらに向けてかはともかく、別れようと考えている相手には
距離をおきたいし、会う機会を減らしたいし、会話も減らしたい時に、上記のような言葉を言います。
要は、どちらに向けても、別れを意識し出すと、顔を合わさない、話さない、と言う事を始めるのです。
しかし、こういう段階になると妻は余計に、「話し合いたい」と顔を合わせ、会話で、もの事を解決しようと望みます。
でもこれが逆効果になるのは、この愛人へ向けたサイトでも分るように、とにかく男性という生き物は
心が離れたら、事実上の生活の距離をおき始めると言う事です。
おかしなものですね。結局別れの構図は、妻も愛人も同じなので、男性はある意味不器用と言えます。
この不器用な男性の特徴を読み取れば、危機は乗り切れるのに、結局男性の特徴を読み取らず、妻は
「私がこう思う」「私ならこうするのに、夫のあなたは何故?」と妻の思いだけを訴えるから、込んだいはどんどんこじれていきます。
夫という男性の特性を読み取ることをせずに妻の「思い」だけを訴えても、夫の「思い」は理解出来ないし、何なら夫の心は、もう愛人の方へ、足が向いているのです。
それなのにいつまでも「夫として間違っているよね?」という正義の話しか出来ないのは、どうかな?
正しいか、間違っているかではないのです。
間違っていても、間違っている人には、間違っている事でも貫きたいという正義があるのです。
愛人には愛人で、動機は不純だったかもしれないし、始まりは間違いからのスタートでも、
それが長くなると、そこには一つの存在感を主張し始めます。
何故なら、間違っていても、そこには もう「在る」からなのです。
その不倫が始まってしまった理由は、妻との溝だったかもしれませんが、すでに始まって市民権を得てしまった不倫は、それを続ける為の道を探します。
再び、妻とやり直す道を探しているのではないのです。
しかし、多くの妻や、メンタルカウンセラーが誤解をしているのは、「溝」があったから、その溝を埋めようよ、という考え方をします。
妻が優しくなかったから、またやさしくしようよ。
妻が子供にかかりっきりだったから、夫にも目を向けようよ。
妻が家を掃除も整理整頓をしないから、夫は呆れたのなら掃除をしようよ。
と、言ったところで、夫の心は別のところまで進んでしまっています。
つまり、朝夕の挨拶をこれまで、してなかったからと言って、今、朝夕の挨拶を元気な声でしたからと言って、「愛人と別れよう」とはならないのです。
夫への夕食も子供と同じ甘いカレーだったからと言って、急にカレーにお造りを付けても、今の彼にはそれよりも別のご馳走が存在しています。
要は不倫が始まった原因が、○○だからと言って、それを終らせる作業は、始まった理由の○○をすればいいと言うわけではありません。
マラソンで走っている人が転んで怪我をしたら、まず怪我を治療しないといけません。
怪我に至った理由の、筋肉が弱っていたから転んだとしても、怪我をした後すぐに筋肉を鍛えても傷が治らないのと同じで、始まった原因に今は、さかのぼっている場合じゃないないのです。
不倫が始まらないようにする為の予防策と、すでに始まった事を止めさせることは同じ作業ではありません。
それなのに、今更急に妻が笑顔で元気いっぱい朝の挨拶をしてきたら
「こいつ、何かたくらんでいるな」と要らぬ詮索をされてしまいます。
もちろん、朝の挨拶は必要ですし、妻も身奇麗にしておいたほうがいいです。
だからと言って、挨拶をしたから、不倫を止めるという夫がいたとしたら それはとても軽微な
浮気で、本当に妻を愛してながら、魔がさしたという程度の出来心です。
すでに別居をしていたり、離婚の話が出ている場合は、妻が生活態度を修正したからと言って愛人と切れると言う事にはならないのです。
何故なら、愛人には愛人なりに「正義」があるからです。
今日は「不倫の成就」というサイトに目くじらを立てるだけで終る妻なのか、またはこれは自分にも当てはまるという情報ととるか、で今後の夫婦の行方は違ってきます。
妻は正義感やルール違反という考えだけで夫に立ち向かうと足元をすくわれます。
本妻という「籍」を過信してはいけません。籍は万能ではありません。
何故なら、愛人はこういうサイトで日々、学んでいるのですから。
では今日はここまで。