アパ不倫 Vol2
最近と、いうか、今年はゲス事件が多いです。
年明けのベッキーに驚かされ、宮崎議員で呆れ返り、カールスモーキー石井で、「あ~またもや」とがっかりし、乙武さんで腰抜かし・・・・そしてしばらく音沙汰がなかったら、今日はファンモンの加藤さんが不倫を認め、もう子供まで生まれるという・・・
なんという事だと言いたいけれど、一般社会は本当は、このくらい賑やかなのです。
それが、芸能界だと目立つから、今年は多いな~と思うけれど、本当は今年は週刊文春や週刊誌が頑張っているだけ。
それにしても何か週刊誌は方向性が変わってきたな~。
でも未だにこの不倫事件がくすぶっているのと、あっさり幕引きした事件との違いを考えてみました。
その違いはとりあえず男性側が、すべてを認め、謝罪したケースは それ以上、突っ込むことも出来ないで、ここがベッキー事件との違いだと思います。
いつも 相談者の妻側の相談をうけ、良かれと思い、真相解明の為に夫と話し合おうとすることが結果的に夫を責めたりして夫婦関係が悪化したと聞かされていますが、妻の本心は夫の浮気を許したいのです。
事実は事実として結果的には夫に謝って貰いたいのです。
そうすれば許す覚悟は出来ているという風に感じますが、土台、浮気を認めることすらもしないわけですから、謝る訳はない。
でも中には、問い詰めている割には、本当は否定して欲しいと複雑な心理も見え隠れして、夫もそれが分かるだけに、簡単に浮気を認める事はしませんから、妻にとっては、認めないということもある意味解決にはならないのです。
そういう事も含め、ここでこじれてしまうということが殆どです。
だから「じゃ許すから、この先、進もう」という事になりません。
ファンモンの加藤さんの不倫は子供まで作っちゃった訳ですから、本当は一生償っていかないといけない重大なことなのに、妻にも頭をさげて、妻に感謝しているという所が世間の妻達の共感を得られたのだと思います。
でも、ここが誠実かと言うと、これは最後に見えた単なる結果だけです。
加藤さんは結果的に妻にも頭を下げ、一見丸く収まったように感じますが、そこに至るまでは相当の葛藤があったと思います。
そもそも、この不倫で「生まれて来る子供には、罪がない」という言葉の中に、色んな意味が含まれます。
恐らく、たいていの男性は、なさぬ仲で、子供を授かったと聞くと、両手を上げて喜ぶ人はいません。
こうした形で、生まれてくる子のほとんどが、男性側の「逃げ」にあります。
しばらく 相手からの連絡に応じなかったり、連絡を応じない、または拒むという事で、時間を過ごします。
その間、どんどんお腹が大きくなり、認知という時期を迎えます。
世の中に、必要じゃない子供なんていませんが、少なくともその誕生を喜んであげられる環境で子供を生み、育てるのがりそうですが、残念ながら 加藤さんは「責任を取る」という形で、金銭的な意味で養育していくのだと思います。
これは、恐らくその女性が産みたいと望んだとは思いましたが、その話し合いに男性が応じなかった時に生じる結果です。
もちろん、女性は身体を痛めつける事も望まない事は分かりますが、せっかく授かった子をパパとママという親が備わった環境で育てられないという事への話し合いがもっと前に出来ていると結果は違ったかもしれません。
できる限り、その子供の誕生を望んでくれる人が多いに越したことはありません。
そういう意味においては、夫が妻の方を向いて反省してくれたからと言って、よかった、よかったとは単純に考えてはいけないのです。
だから、加藤さんがすべてを認め、妻が許してくれた事に感謝するという事だけをみて、一般の夫婦に当てはめ、夫が認めてくれることを、終点としてはいけません。
何故なら、それは浮気の終点ではなく、一人の命が生まれてくるという、始まりでもあり、こういう責任の取り方は加藤さんが芸能人の高収入の方だからです。
ここを、同じように夫が謝り、妻と二人三脚という宣言に、憧れるという事は間違ってもしないでほしい。
加藤さんも、消え入りそうに小さくなり、終始涙目でした。
それが誠実な反省と考えるかもしれませんが、それは違います。
恐らく、そのずっと前、浮気相手のAさんから妊娠を告げられた時、ある種、無視をして時間が過ぎた間に、女性の気持ちがこじれてしまったのかもしれません。
だから結果的に妻に誠実であっても、八方がよしだったとは言えないのです。
一見、すべてを認め、誠実な会見に見えますが、実は浮気相手には 妊娠当時無視をし、逃げたという不誠実があったのではないかと思います。
また、妻にはある程度の時期までは話せなかったということは、ある意味、否定し続けた可能性もあるので浮気発覚当時は不誠実だと云えます。
だから今の結果は、やはり不誠実の成せる技と言わざるを得ません。
妻は意外と腹が据わっていて、苦しい事でもちゃんと説明されたら、困難に立ち向かうのです。
夫の浮気を知って、うろたえる時期があっても、覚悟が出来ると、肝は座るのです。
ただ、それは夫と二人三脚でないと嫌なのです。
だから、夫が浮気を認めて、妻の方を向いてやり直そうと言ってくれるなら それは望むところなのです。
夫が不倫を認めるか、認めないかが一番大きな登竜門となるのですが、一方、片や浮気相手との間で不誠実な対応があったのではないかと推測されますので、妻に誠実でも手放しで喜べないと思います。
宮崎元議員は結果的に、辞職しましたが、不倫を認め妻とやり直すという言葉が主婦には、許してあげようかとまではいかなくとも「ま、仕方ないか」くらいには思わせるのだと思います。
そこで、芸能界で、不倫を認め謝った人たちのメンツを見て考えてみてください。
問題がすぐに沈静化したには、共通点があるはずです。
それは仕事です。
その後に大きな仕事を抱えていたり、迷惑や社会的影響が大きい男性は、自分のポジションをよく理解しているのです。
一般のサラリーマンは、単なる体裁を気にするくらいであっても芸能人や、政治家などは その影響力が計り知れないので、それは
妻や不倫相手に対して謝っているというより、実際はスポンサーや自分の将来の為に謝っていると言って間違いないです。
だから一般の妻が芸能人のああ言う芸能人の謝罪を見ても自分たちと同じと考えたらいけない。
あの芸能人だって、もし一般のサラリーマンだったら、同じ内容でも謝らなかったと思います。
つまり、謝っているのはとりあえず、自分の将来の為で、本当は事件後そんなにすぐに反省などは出来ないものなのです。
ただ、芸能人はそういう訳にもいかないし、とりあえず謝るのですが、これがクリエイティブな仕事をしている人は、いい仕事さえしていれば、結果を出せばいいという事になり、中々、世間に謝るということにはありません。
それは、どれだけ回りに迷惑がかかるかということもありますが、回りの人が その男性の回りに応援をしてくれているか、という事で、所属事務所や、プロダクションが、会見などの道を引いてくれるのです。
だから、サラリーマンが、会社に秘密で、水面下で不倫をしていても誰も不倫をしている夫を応援する人などはいません。
なので、謝罪をするというのは、社会的影響を与えるポジションにいる人が、することであって、実はその謝罪は世間とスポンサーに向けてやっているということですので、サラリーマンには、別の話になります。
と、いうことで、芸能人の不倫終結は、あまり一般人には参考になりません。
芸能人の浮気がすぐに終結宣言をするのは妻への反省に聞こえますが、実はそれよりも、 その影響力があまりにも、大きいからです。
聞くところによると、ファンモンの加藤さんの主演映画が上映されることにあたり、舞台挨拶もあるのでしょうけれど、それより映画の興行成績に影響することは危惧されるところです。
ワイドショーネタのようですが、実際これは不倫問題のようであり、実は仕事柄という対応という考え方をした方が正しいと思います。
男性の生き方って、仕事柄という事がかなりの事を形作ります。
色んな事が誠実か、どうかも含め、男性が失くす物の、何にこだわるかを決めるのも仕事柄、という事が多いに関係するので実は今回の加藤さんの速やかな会見は誠実な人柄ではなく、仕事柄と考えるくらいが妥当です。、
何度も、同じ事を言いますが、今回の加藤さんの件は、特別な芸能人の話で、一般家庭に当てはめられないと考えましょう。
芸能人やクリエイティブな仕事をしている人は「いい仕事をしていき、ファンの気持ちに応えたいと思います」で済むのかもしれません。音楽家などは、いい作品を作って行くことで名誉挽回もできるかもしれません。
でも、サラリーマンが同じような浮気問題を起こして「仕事で結果を出していきます」と上司に言ったところで、
「お前の頭はどうかしている」と言われるだけです。
今回のはあくまでも、一般社会の話ではないと考えて下さいね。
でも、生まれてくる子供には親の何かが影響せず、健やかに育ってくれることを望みます。
では今日はここまで。