夫に対して人が変わってしまったと感じる瞬間
よく、夫婦が離婚をする時に、価値観の違いを理由にされる方がいます。
いったい、価値観の違いって何なのでしょう?
今日は、特にお金の感覚について書いて行きたいと思います。
価値観の違いは離婚を言い出す側が感じていて、離婚を言い渡された方は その違いは感じていないケースが多いのです。
特に生活費と言うことについては 夫婦の間で、価値観が大きく違うと 結婚生活が続かなくなります。
日頃、私が感じている事に、結婚生活が長続きしている夫婦と、早くに離婚の危機に面する夫婦の違いは、どこにあるかな~と考えていますが、私のところに相談に来られる方で、結婚して3年以内で
離婚の危機になる夫婦は、その殆どが、お金の価値観の違いです。
逆に言うと、お金の価値観が合うと、結婚生活は長持ちするとも言えます。
しかし、悲しいかな価値観の違いと言うだけに 価値は個人差があり、自分では当たり前と思っているだけに、その間違いに気づきません。
特にケチという部類に入る人にとっては、自分の感覚がすべてですから、相手から指摘されても、それを認める事が出来ません。
特にこれは夫側に多い傾向で、お金にケチな男性は愛情のケチ愛情にもケチになります。
この「愛情のケチ」というのは 本人には一番気づきにくいところで、自分は始末家で質素な生活をしているので、むしろ良き夫とさえ、勘違いをしている時があります。
こういうケースの夫は、華美な事を好みませんので、大きな遊びはしませんので、外に出ることよりも
家庭の中にいる事を好み、贅沢もしませんが、それを家庭的と考えているケースが大いにあります。
そういう方が妻から離婚を言い渡されて、当方に相談にこられる時には、自分が何故、離婚の危機に面しているか、気づかない場合も多いですが、中には妻からそれを言われても、その意味が理解出来ない夫のケースもあります。
そういう場合の夫は、夫婦がとても上手く行っていると感じていたので 妻の離婚宣言は狐につままれたような物で 実感がないのか、または自分の落ち度を認めたくないのか 金銭的な事を尋ねても
「問題ない」と答えられます。
私の仕事は 夫婦が離婚の危機に面しているなら、その理由がどこにあるか、それを分析できないと前に前に進めません。
相談に来られる夫も、夫婦の溝になっているものを解決したくて、こられたはずなのに、そこに注目されることを、嫌がる傾向にあります。
つまり お金の事は 夫にとってはとても大切な問題で そこだけは譲れないという事です。
ですので、何が原因かな~と私の中で質問をしても、こういう家庭の夫は夫婦円満だったと私へ説明されます。
ですので、お金の事は 置いておいて、もっと違うところから解決策がないかと、相談に来られているのですが、奥様にすればそこが一番の問題だと感じていたら、他の方面から、譲歩案を提示されても
そこには、乗ってくるはずがないのです。
そして夫も そこを私に伝えたがらないし、渋々認めても、そこは上手くヤっていけると思っているのです。
もちろん、奥様にも色んなタイプがあって、お金の事にはあまり執着せず、夫の金銭的に細かい事も
苦にならない方もいますので、これは夫婦の相性の部分になります。
ですので、この相性という言葉で片付けてしまうと、私の出る幕は無くなってしまうのですが そのお金の事が原因で、離婚問題にまでなっているなら、そこを軌道修正しないと、元の夫婦には戻れません。
このお金の価値観による離婚の場合は、一番の問題点に手を入れていかないと、どうしようもありません。
それなのに、こういう夫の場合は、自分が如何に家庭を大切に思っていて、如何に家庭的であるかを
私に説明され、離婚を言い渡された理由が見当つかないというのです。
特にそういうケースの夫は「僕はギャンブルもしませんし、浪費もしないし、浮気も借金もしません」と、良き夫だったと、言われます。
ギャンブルも借金も浮気もしない・・・
しない、しないの、ないことづくし。
そうです、何も悪いことをしていないと言う人は、相手の気持ちにも、気づかないという無いことづくし。
その上で、外に出かける事より、家庭の中にいることを好む傾向が夫にあるものですから、妻にとっては、家庭の中で、喜びをみつけるしかなくなります。
しかし、浮気も、借金もしない夫は、派手な遊びもしない代わりに、サービス精神もないとなると
楽しいはずの新婚生活も、すぐに色あせます。
つまり、夫には、何もなくても幸せかもしれませんが、妻には「何もなくて面白くない」という生活になります。
結婚して、10年も過ぎてからの離婚問題は浮気が原因の事がよくありますが、新婚間もない時の離婚理由は、価値観の違いによるものが大きい。
悪い遊びをしない夫は、普通は歓迎されるべき存在なのに、何もないことは、文字通り何もない・・・・面白くないということになります。
これは夫婦が長いあいだ、一緒に暮らしてきたら、それなりの歴史も絆も出来ているのですが、
あまりにも早く、夫婦に崩壊が訪れると、二人を結びつける接着剤がない。
ここを ただ単に「悪いことをしなかった」というだけでは 妻をつなぎ止めておくのは、無理があります。
年をとってからの離婚理由は その年数分だけ、色んな事がありますが 結婚して3年以内の離婚理由は、「面白くない」ということが ダントツなのです。
一生懸命、働いて、その上で面白くないと言われてしまうのは 残酷な話ですが、別にゲラゲラ笑う事が面白いとは限りません。
ただ、一緒に生活をし始めて、結婚という形を維持しようとなると、結婚生活イコール、役割分担と言うことになります。
と、なるとお互い、生活の役割をどれだけ果たしているか、が中心になり、何か家事も当番制のような事になってしまいます。
そうなると、楽しい事をするとかの意識が薄れてきてしまい、結婚生活を続けるための、役割分担になると、結婚生活は形骸化されてしまいます。
そこに、楽しい伊吹を吹き込む事が、出来なくなってしまい、結婚が単なる、生活場所でしかなくなります。
こういう状態になる夫婦は往々にして妻が仕事を持っている場合が多い。
金銭的に自立をしている妻は 夫にとれば、結婚を二人の収入が合わさって、結構裕福な生活が出来る事も、暗黙の了解になっていても、結婚して、妻が価値観の違いに気づくと、収入があるので崩壊するのも早い。つまり夫に頼らなくても自分で生活してける人ですから、結婚の形は共働きで、GOするのですが、違うと思った時には 別れる決意も早い。
そんな時、夫が家庭的で、無駄使いしないというくらいのアピールでは 問題視されてからの妻のココロは動かないのです。
夫婦は たった二人の人間の塊です。
夫婦二人で問題の原因を考えるときに 「僕は悪くない」という宣言を先にしてしまうと、相手が悪いと言っているのと同じ意味になります。
原因探しや犯人探しを、二人で向き合い、「原因は僕じゃない」いう立ち位置を取ると、自ずと目の前の相手を悪者にしているのと同様なのです。
それでも 二人の間に子供がいたりして、家庭生活を続けていかないといけない場合は、妻も自分を抑え、夫に着いていくでしょう。
でも、結婚生活で守るべきものが、まだ育っていない段階で、夫が自分の短所に気づかないと、正直申し上げて 改善の余地はありません。
たかがお金、されどお金。
家事協力や 家庭の中の役割分担をしても、夫婦が共働きをして、結婚生活を維持していこうと思うと相手を愛していなければ、続きません。
夫は妻を愛していると思っていても、愛し方が間違っていれば、妻には伝わりません。
結婚生活を続けて行くには、相手を大切にする、コレに尽きますが、金銭的に細かい男性は愛情はタダだと考えている傾向があります。
もちろん、妻にお金で愛情を示すと言われてもピンと来ないでしょう。
でも、せめて生活費だけでも ガラス張りにしましょう。
せっかく結婚したのですから、生活費はお互いフェアーに出し合って、二人で共同生活しましょう。
夫婦は、家計もガラス張り。
隠しごとのないことが一番です。
結婚前の貯金は 特有財産と言って、別に二人の共同の貯金ではないですが、心を持ち寄ると言うことが結婚生活の始まりです。
これとこれは別ね、決める前に これとこれを持ち寄りましょうというのが結婚です。
法的な制度としては、共有で貯めた貯金は、二人のものですが、それは離婚をする時には セパレートにするべきとなっています。
それに対し、特有財産は違いの物ですから、お互い手出しは出来ません。
でも、夫婦になる時は それを分かち合って、という気持ちでスタートしますが 特有財産、共有財産という言葉を意識するのは 離婚の時です。
それを最初から線引きするようでは 、そっけない結婚生活としてのスタートになり、これでは二人で温め合うことが出来ません。
お金にきっちりしているというのは 結婚生活も安泰と考えがちですが 夫がここを線引きし過ぎると味気ない結婚生活になります。
それが、そこここに、顔を出し、結婚生活がシビアになります。
何なら、生活費の出し合い方にも「損得勘定」のようになり、生活費にも渋りがち。
これでは夫婦の絆が育たないまま、シビアな夫の面だけが強調されてしまいます。
愛情をたっぷり持ってあげると、気前も良くなるものです。
日本の給料制度は 男性の方が色んな手当がついて、当然多くなりがちです。
そこで共働きだから、平等に生活費を出し合おうと言っても、男女で平等なんて有り得ないのです。
結婚すれば 家事もふたり分になり、当然妻の方の負担が多くなります。
二人がいくら共同で家事をしても、当然妻の家事は増えるものです。
そんな時、妻が夫を尊敬するのは、ある意味夫を大黒柱に感じる時ですが それが平等を主張して
生活費も折板ならば 家事の増えた妻は、疲弊した身体にムチ打つのもバカバカしくなります。
やはり そこは男性ですから 「俺に任せておけ」という方が 尊敬の念はおけるものです。
特に、妻に収入があるからとばかりに、生活費をあまり入れない夫がいるのですが これは言語道断。
男性がどれだけ頑張っても 子供を産んでくれる女性とは平等にはなれません。
いつでも子供が産めるように、夫の収入で生活していけるようにしておかないと、妻にとっては
出産しても、仕事を休むことが出来ないのでは?と 悪い事しか考えません。
そういう話をすると、夫は「その時には全部自分が生活費を出しますよ」と、その時はその時というふうに夫は言いますが、妻には 満足な生活費を渡してもらえてない場合、身ごもったらどうしようという風に不安を持ってしまいます。
いざとなると、腕まくりをして夫も頑張ると言っても 妻は日頃から、生活費を充分もらっていないと
今後、子供を生んで、育てて、というイメージが持てませんし、それまで続きません。
結婚生活を続けていくには 日頃から、夫を尊敬出来ないといけませんが、夫側が平等を唱いすぎると、妻は不公平感を募らせるでしょう。
結婚生活は平等ではありません。
特に男性と女性とでは、女性の家事負担が大きい。
一見平和主義のような 平等を唱えると、そこは「俺に任しておけ」という頼もしさを感じません。
共働きは平等ではありません。
共働きであっても、妻はいつか家庭に入ることを考えていたり、子供を育てる育児期間は、夫に養ってもらわねばなりません。
それを少ししか生活費を貰っていなければ 妻は夫を頼ることもできないと イメージをもちます。
共働きでも夫を尊敬して生活できなければ、結婚生活は続きません。
そういう事で 金銭的に始末家である夫は、自分のシビアな部分は長所と考え、妻はそれを窮屈と感じる事もあるようです。
今の不景気で たっぷりな事は出来ないかもしれませんが 自分が好きで結婚した妻にくらいは
出来るだけの事をしてあげたいというのが愛情です。
愛はお金で、表現出来ることもあるのです。
男の魅力だけで勝負出来るのは ホストクラブの色男くらいです(言いすぎかっ、ごめん!)
では、今日はここまで。