浮気と時間の相関関係
ナゼナゼ人
今日はこのナゼナゼ人という変な課題で書きます。
人は望まぬ事に見舞われた時、「何故こんなことになったのか?」と考えます。
でも この考えには、実は2つ通りのタイプがあります。
例えば 自分の息子が海水浴で、水難事故に遭い、不幸にして息子を失ったニュースなどで見る機会があります。
ニュースでは悲嘆にくれる家族の様子がテレビで流れます。
ここでいつも思うのは、その原因です。
その原因によって、その後の家族の心情に大きな差が生まれます。
「元々息子は泳ぎが苦手だった」と原因を考える母と、もう一方で「誰に誘われて海水浴に行ったか」という人に責任を求めたがる人です。
つまり人にさそわれて海水浴に行ったなら、息子の水難事故の責任を半分は誘った友人にあると考えます。
これに反し前者のように息子自身が己の体質を熟知し、自己責任で行ったのだという考えに立つと、
誰に誘われようが、行ったのは息子さんの意思となる考え方です。
これは息子さんの年齢にもよりますが、人は何かに責任を負わせたがるものです。
天災や遭難のように、誰も恨めない場合は、それを受け止めるのは非常に辛い。
少しでも その苦しみの責任を他にあると考える事で救われるという心情もあります。
しかし こうした災害ではなく、人が引き起こす事件も同じことが言えます。
例えば夫が浮気をした場合、その浮気は相手女性に騙されているというように、考える妻がいます。
これは その事件を、ある意味、災難のように考えているということです。
つまり、被害に遭ったというような考え方です。
でもね、浮気なんてものは どちらが誘ったか、どちらかがそそのかされたと言うことではなく
浮気や不倫は二人で起こす、人災です。
要は人間が意思を持って起こす事なので 災難などではないのです。
騙されたとかではなく、同罪であり共謀です。
しかし、夫が女性に騙されたとまではいかなくても、何らか被害に見舞われたという考えは
そこは、現実を受け入れられないときの、現実逃避のような事だということです。
これが悪いということではないのです。
人間の防衛本能のようなものですから 当然の事なのです。
それの逆に、自分がこういう事態を引きお越したとする考え方です。
これは、本当に辛い・・・・
夫が浮気をしたもの妻である私のせいと考えるのは こういう自己防衛ではなく
逆に 自分を責める事で 夫に許しを乞うという関係性を作り出します。
夫の浮気に気づき、それを止めて欲しくて、「私のどこが悪かったか教えて」という心情に陥ります。
その心情は分からなくもありませんが こういう関係性を悪用するということで 浮気を妻のせいにする夫がいます。
つまり浮気をしたのは 妻が夫に対し、足りない部分があったというのが浮気をした理由にするのです。
つまりここでも自己責任ではなく、責任逃れという現象が起きます。
被害を受けている方が 自分に責任があると考え、
妻を苦しめている方の夫が、浮気をさせたのは妻が原因というのです。
どうも、変な行き違いが起きていますね。
本当に反省しないといけない問題のすり替えです。
このことを悪用?されて 被害者である妻が、なお一層の被害者になってしまう事がありますので
あまり、卑屈にならずに、しっかり現状を見定める力を持たないといけないのです。
よく夫の言い訳に、浮気をしたのは妻が子供の育児に気が取られ、夫に対して心配りが少なかったという事に寂しさを覚えたから、というのがよくある口実ですが、そういう浮気はたいてい
妻の妊娠中に始まっています。
つまり妻にセックスは求められないからという理由ですが、かと言って、出産したら浮気をすぐに
やめられるかと言えば、そうではありません。
だから浮気をしている理由が、妻が育児にかまけて夫を大切にしなかったというのです。
私にすれば 「誰の子じゃ?」プンプンです。
この言い訳を妻は間に受けて、「私が悪かった」と反省するのです。
でも 私からすれば、こうした反省は、逆に夫を増長させます。
つまり 「私が悪かった」という反省は 夫に二度と楯突くな、と言うことを意味し、悪いと思ったら逆らうな、という関係性を作り出し、いわゆる妻の攻撃心という、牙を抜かれる作業なのです。
これは家事のせいにされた場合でも同じです。
妻が家を綺麗にしないから、居心地が悪く、僕は浮気をしたという事もよく言われる口実の一つです。
こういう口実を真に受けると、どういうことが起きるかというと、妻は必死で家を掃除し出します。
でも 私はこのような仕事をして十数年が経ちますが、未だかって今 なすべきこと家を掃除したから夫が浮気を止めたという話は聞いたことがありません。
もちろん、家事が手抜きだった妻が、夫の居心地をよくするために、居住まいを正すと言うことは大切です。
でも、これは家の掃除や家事の話ではないのです。
つまり夫に対して心くばりをしたという「こころ」の問題です。
夫にぞんざいな口を聞いていた妻が 言葉遣いを変える事で関係が良好になることはあります。
しかし 浮気をすでに始めてしまっている夫の、浮気をやめさせる事は 家を掃除しても止めません。
要するに 始まってしまったものは簡単に終わらせる事はできないのですが、本当の話をすると
浮気を始めた理由に、家が汚いからというのがそもそも責任逃れの口実だからです。
だから、本当じゃない理由に踊らされ、掃除をしても、何も変わらないというのが実態です。
さ、そろそろまとめに入ります。
大事な定説ですから、覚えて下さいね。
妻が冷たいから浮気をしたという事はありますが、かと言って優しい妻が浮気をされないということでもない。
家が散らかっていて、落ち着けなくても 浮気をしない人はしません。
悪いことは悪いこと。
何を妻のせいにしても、浮気をしない人はしません。
もし 本当に育児にかまけて夫が寂しい思いをしているなら、少なくともその時に、家族会議をするべきです。
ましてや、家族会議をした時には、「時すでに遅し」というのではあまりにも、身勝手というもの。
だから、日頃私は話し合いはしてはダメと言っていますが、最初からしてはダメというのではありません。少なくとも夫婦の心にボタンの掛け違いが起こっているなら、それはその時に話しあいをしなくてはいけません。
しかし、これは浮気男性を擁護するわけではありませんが 中には 話し合いをしても無駄だろうと
夫を失望させている妻がいます。
それは お互いの事への価値観や趣味、嗜好が違いすぎる夫婦の場合。
そのは話し合いに、希望を持ちません。
そういう時は 浮気問題以前の、夫婦の溝があります。
あまりに妻が夫のタイプをわからずに、お嬢様タイプや 友達夫婦になりすぎるとセックスはなくなります。
夫の望むことを知ら無さ過ぎると、夫婦の心は離れます。
男性はとてもエッチな生き物です。
そのエッチがまったく家庭で・・・妻に求められないなら男性は寂しいものです。
もし、夫が寂しい思いをしたというのであれば、それは男という生き物への無理解でしょう。
でも、もう始まってしまった浮気は、今更妻がエッチをしようとしても、すでに他に心奪われている女性がいるので、原点に戻って、家事をしたり、夫に心を配っても、それは浮気を終わらせることにはならないのです。
浮気を始める理由と 浮気を終わらせる作業はまったく別のものです。
妻が一生懸命に優しくしても、残念ながら始まってしまった浮気相手がもっと優しくしているということなのです。
それを 妻が浮気相手の女性を悪く思っても、何の意味にもならないです。
他の人に心を奪われている夫の背中に、おしゃれをしたところで夫の目は、浮気相手に向かっています。
心理学の中では 夫との関係性の改善には夫に優しく、妻の心に余裕を持つようにと、教えますが
浮気問題が原因の場合は夫は妻に背中を向けて妻の努力を見ていません。
こういう方程式を理解することが浮気問題解決の第一歩です。
厳しい説ではありますが これを理解される方だけが、本当の解決策に入れるのだと思います。
今日の講義は、これで終わります。