浮気終結と夫婦修復は別作業
「夫を信じてはいけない?」
なんてひどいタイトルなんでしょう。
自分で書いてながら、解る人には理解してもらえると信じて書くっきゃない!
もちろん すべての夫婦に言っているのではありません。
基本的に夫婦は 愛し愛され信じあう事が理想的です。
でも、夫の不倫という問題が夫婦に横たわる時に、話し合いという事をするという意味は
夫の口から発せられる言葉が真実である、または話し合えば真実を話してくれるという前提の気持ちがあると、いうことになります。
これは希望的観測で理想論なのです。
例えば ご主人の不倫が妻の知る事となり、妻が当然不倫を止めて欲しいと願っている・・・・
これは当然のことですが、だからと言ってご主人が 不倫を止めようという事になるか、という事です。
つまり妻の考え方の基本にあるのは、「不倫は在ってはならない、だから妻にばれたら止めるだろう」と言う大前提があります。
それに対して不倫がばれたからと言って 女性と即、別れようとならないという事です。
ここの夫婦間の考えの違いをまず頭に叩き込んで下さい。
つまり 妻に対して、家族に対して、背信行為をしている夫は、発覚した途端、それは止めるだろうというのは 妻だけの理屈なのです。
そういう事を言うと相談者の妻は 「それでも、そんなことをして家庭を壊してもいいのですか、先生」と 私に目を丸々して問われます。
いいか、悪いか、と言えば悪いに決まっています。
でも「いけない事をしてるんだ」と、いう事がご主人が思っていてこそ、不倫を止めなくてはいけないという事に繋がりますが 残念ながらそう思っているのは妻だけだという事になります。
こんなことばかりを発言していると、ご主人の気持ちの代弁者のようになりますが、私は分析をしているだけですから お気を悪くしないで下さい。
この夫婦の考え方の距離のままで 「不倫を止めてくれ」というような「話し合い」をすれば、ご主人は妻を不倫の妨害者のように敵視します。
そうなると、その話し合いをどうやって早く終わらせるか、という事にご主人の頭は一杯になります。
妻の良心を利用しようとするタイプの夫なら「俺の事をそんなに信じないのか」とばかりに、自分の不倫はさておき、夫を信じない妻と立ち位置に立たせようとします。
そうなると 元々は夫を信じていた妻は 夫の携帯を見たり、夫の持ち物をみたりと、後ろめたい気持ちがある中で 「夫を信じていない」と、いう点を指摘され、ズキンとしてしまいます。
もう少し過激な夫のタイプは「そんなに俺を信じられないなら勝手にしろ」と逆切れさえします。
つまり 妻は夫の不貞を感じて、何とか止めて欲しいとばかりに話し合いをしようとしますが、夫は自分の行く手を阻むものという 相対する立ち位置を取ります。
妻はなるべく夫婦喧嘩などではなく、話し合いという平和的交渉をしようとしますが ご主人に取れば敵からの挑戦状と受け取るのです。
だから 話し合いで解決しようとする事自身が間違っているという事なのです。
でも 妻は平和が好きです。
ドンパチドンパチの争い事は嫌いですから 平和的交渉の話し合いで何とか夫が気付いてほしいというのが 願いですが、夫にすれば その話し合い自身が「勝つか負けるかの戦さ」なのです。
でも、いくらご主人の本音を分析しても 不倫が終わる訳ではない事は このコラムをお読みの方は お分かりだと思います。
何度も話し合いの場を持ち、それが上手く行っていれば 恐らく私のコラムは読む事はなかったと思うのです。
何らかのやり取りをご主人と繰り返した結果、行き詰ったから 私のコラムが目に留まられたのではないでしょうか?
でも 基本は 妻は平和な解決法を探しておられます。
私の所に相談に来られる方も、夫にどういう姿勢でいればいいでしょうとか、浮気を止めさせるには、どういう事を言えば言いでしょうか?という あくまでも夫と向き合いたいという気持ちが基本です。
だから信じられないのか?と一喝されると、腰が引けてしまうのです。
だから 戦闘モードではなく 尚更平和的交渉という手法を探されて 当方に来られるのです。
だから、願いは、実質的な、仲直りであり、夫婦仲のやり直し、なのです。
そこに「戦い」という雰囲気は ご法度です。
だけど、問題は暗礁に乗り上げ、どうしていいか分からずに、苦しんでおられます。
その結果、どうしたら夫と敵対せずに、夫の気持ちを取り戻せるか、という1にも2にも
「気持ち、気持ち」を大切にされます。
だから、カウンセリングという気持ちをくみ取ってくれて、その上で気持ちを楽にしてもらえるところはないか、と あくまでも気持ち重視の解決法を望むようになります。
しかし 残念ながら、夫婦の浮気問題はカウンセリングと言うような受け身の方法で解決しないのです。
だから 一般的なカウンセリングの門を叩くと、カウンセラーも 相談者の気持ちを和らげてあげたいと、物の考え方や 捉え方を 説きます。
辛さの軽減・・・・・・つまり気持ち面での解決方法・・・・
これで 不倫問題が解決が出来るのであれば、いいのですが 気持ちの辛さを訴えると、
気持ちの持ち様を指導するというのが、メンタルカウンセリングです。
ですから このような不倫問題を夫といがみ合う事なく、気持ちの持ち様で、切り替えたいという方にはカウンセリングが向くでしょう。
自分に合ったカウンセラーとは?
心理でも果たして 気持ちの持ち様で夫の不倫は収まるのでしょうか?
心理カウンセラーも色々な 種類があり 心療内科でそこを担当される方もいれば 街中のカウンセリングルームもあります。
また大学の研究室などで 臨床心理士という研究職の方もいらっしゃいます。
ここで 心理カウンセラーとして 国家資格を有するのは 臨床心理士だけなので
「しっかりしているだろう」と門を叩かれますが 臨床心理士は大学院を経て、なるものですから
どちらかと言うと 一生懸命お勉強をされた優秀な方です。しかし中には まだ結婚をされていない方や、研究やお勉強を熱心にされたお蔭で、恋愛経験すらも乏しいと言う方もいます。
ですので 相談者への回答が あくまでも机上の上の論理と成りがちで、やはり結婚生活への踏み込んだ見解がないというカウンセラーもいます。
そうなると、相談者への答えがどうしても、「気持ちの持ち様」だとか 「夫に向かう姿勢」とかのアドバイスになります。
つまり 結婚もパートナーの不貞も経験則がない為、解決策は持ち合わせていないのです。
だから、不倫の解消法などという具体策ではなく、「夫を信じよう」という理想論を唱えるしかなくなり、信じれば気持ちも楽になるというような 気持ちの中の話になってしまいます。
心理カウンセラーが悪いとは申しませんが 夫婦問題の具体策を知りたいのに 気持ちの持ち様の指南を求めに行ってしまっている 相談者も 間違っていると言わざるを得ません。
カウンセラーとは民間資格ですから 本当にでたらめなカウンセラーもします。
具体策を指導すると言いながら 結局、気持ちの持ち様に逃げるカウンセラーもいます。
妻はいつもオシャレをして 夫の居心地のいい場所を作ろう・・・・なんて誰にでも言えます。
特に 高いカウンセリング料を払わなくても、そんなことホームページに書けばいいのです。
カウンセラーの所の門を叩く方には 少なくとも具体策を教えてあげないと カウンセリングをする意味がありませんが、結局のところ、カウンセラーも、人の人生に責任のある言葉を言えるほど自信を持ち合わせていないという事なのです。
もちろん、自信過剰はよくありません。
でも、具体策を知りたい人に 気持ちの持ち様などと すり替えるのは罪です。
本当に気持ちを楽にしたいならば 問題が解決すれば おのずと楽になりますよ。
それなのに 先に気持ちを楽にしたいと言うので 気持ちの持ち様の話になるのです。
そういう意味で、行き先を間違えた列車に乗れば 別の所にたどり着きます。
夫は浮気相手に気持ちを奪われている訳ですから 妻が少々、綺麗に化粧をしても
朝夕の挨拶を明るくしたところで 不倫を止めようという気にはならない訳です。
夫の大好物の夕食を用意しても、夫は外で女性と食事をしたいのです。
こういう夫の心理状態の話をせずに、何が心理カウンセラーでしょうか。
これは心理カウンセラーに対して文句を言っているのではないのです。
相談者の求めている事が 一見平和主義の「気持ち上の解決」を望むから
それに対しての答えをいうほか ないという事です。
貴方の求める事が 苦しさの軽減で それをする為の 間接的手法であれば
よく眠れるように、ハーブティーを飲んだり アロマを炊けばいいでしょう。
時にはイージーリスニングの癒しの音楽を聞いてもいいのです。
話し合いとかでなくても 具体策を取りたくないと言われる限り、それは、癒しという間接的な方法でしか、なくなります。
そういう事で、今後の事を考えると 自分の求める事は どっちなのか、それを決めないといけません。
問題も解決したいし、気分も良くなりたいし、同時に夫と仲良くなりたい・・・・・
そんなことは 一度には出来ません。
ご主人も本気で 家庭を捨てようとしているなら その夫を信じて 夫の言葉のとおりしていたら
えらい事になります。
夫を信じたいと思っていて その気持ちを告げてカウンセラーの門を叩いたなら あなたの望む答えを言ってくれます。
夫を信じてあげないと 信頼関係は築けませんから 夫の居心地のいい居場所を作りましょう・・・・・・・心理カウンセラーはそんな風に答えてくれるでしょう。
何故なら そういう答えがあなたにとって、やはり居心地のいい答えだからです。
心理面で慰めて欲しいなら 一生懸命胸の内は話せばいいでしょう。
カウンセリングの原則である オウム返しという、「苦しいのです」に対し「苦しいでしょうね」と
言葉の繰り返しを言うだけです。
カウンセリングとはあくまでも答えは告げず、相談者が自分で答えを見出すように、導くだけです。
要はカウンセラーには 答えはないのです。
それが心理カウンセリングの特徴であり手法です。
もう一度言いますね。
貴方は 何を求めていますか?
時には人生は戦いも必要です。
自分の望む事を手に入れたいなら 死にもの狂いの努力もしないといけません。
そういう窮地に追われているのに、そこで 癒しという休憩を、もうするのですか?
本当の癒しは 問題が解決したら 否が応でも癒しの刻は訪れますから、早くも癒されたいというのは 苦しさからの逃げです。
夫に嫌われたくないと言う気持ちは分かりますが 嘘を信じたままにいるのが 本当に夫と
仲よくすることでしょうか?
今日のタイトルは 夫を信じてはいけない、とありますが ここは誤解しないで下さい。
一生、信じるな、という事ではありません。
うかうか信じたままでいると 仲のいいまま 離婚になります
多少嫌われても 離婚を阻止する勇気が必要ではないでしょうか。
離婚さえ回避できると 修復する機会はやってきます。
その時に 訪れる安心感と、幸せ感・・・・それが 本当の癒しじゃないですか?
癒しは 頑張った人にだけ与えられる ご褒美ですから。
では、今日はここまで。