何故浮気を白状、謝罪できないか?
夫婦修復の前に当方に寄せられる相談の最多が「不倫後」の夫婦関係の事です。
そのダントツ1位が 「信じられない」
その次に「夫が優しくなく」
その次位に「フラッシュバックのように苦しみが蘇る」
「浮気相手とヨリを戻されたら?」
こういう悩みが多く寄せられます。
そういう方の特徴として まずは 夫の不倫の終結を確認できていないという事が共通する部分です。
つまり「終い仕事」という事が夫任せになっていたり、夫の言葉だけを信じているという事です。
もちろん、夫の浮気中は怒涛の毎日で夫が浮気を終えたというなら それ以上蒸し返したくないし
まずは、信じる事から始めないと、という事で再スタートを急ぐ気持ちは分かります。
でも 蒸し返したくないという事と 本当に夫の浮気が終わったかどうかは まったく違う話なのです。
そして まずは信じて見たという人に限って 後々信じられないという感情を持つようです。
これは、やはり実際に終結していない場合も大いにありますが 根底にあるのは 信じるという事は
そんな簡単な物ではないという事です。
こうした経験は誰しも、マニュアルもないので みんな手さぐりですが どういう訳かみんな同じような行動をします。
つあり一度は信じてみるという事をします。
実際夫は こういう信頼に応えるべきなのでしょうけれど不倫と言う物は 妻が信じてくれたから、止めるという風に簡単には行きません。
これが何故簡単に行かないかと言うと、どうしても登場人物がもう一人いるからです。
妻は自分と夫の二人の問題だと考えているのですが 実はその夫の向こうには、浮気相手の女性という存在が居て、その女性も自分の浮気相手であるその男性を信じているからです。
夫は 2人の女性から それぞれ信頼されているのです。
そこで 妻の言い分としたら 「子供もパパを必要としているわよ」とか「結婚○○年、家庭を捨てるような浮気は破滅的な人生になるわよ」という 正論を唱えても 浮気相手の女性にもそれなりの言い分はあるのです。
そもそも 浮気をする時点で、ご主人は理性を失っています。
その理性を失いやすいという人格の元の繰り広げられた浮気。
その人物に 正論で立ち向かっても 馬耳東風になるのです。
確かに家族の為に正気になって欲しいという妻の願いは分かります。
しかし、それが夫の胸を打つかどうかと言えば、正論だからこそ、聞きたくないと逃げる気持ちがあるのです。
そんな時に妻は 話そう、話し合おうと テーブルに着いてよ、と言っても 内心は嫌なのです。
例えば子供が いたずらをして母親に叱られるのが解っていて、素直にテーブルには着きません。
子供なら 往生際悪い態度も 母親の一括でシュンとなりますが これが大の男という事になると
往生際悪く 逃げ隠れしたいと思っているなんて 想像しにくいものです。
でも 実際はいくつになっても 悪い事への説教なんて逃げたいに決まってますが 大人ですから
立派な屁理屈を述べるのです。
正直、大人も子供も同じです。
でも 子供が非行に走ったら 母親は そんなにすぐに信じません。
子供を信じるのは 美談ではありますが、非行から立ち直らせたいと思えば、母親は盲目に信じる事が
どれだけ子供の為にならない事を知っています。
暫く 子供がおかしげな行動をしないか、生活態度も改めているか、当分は目を光らせています。
大人も同じです。
そんなに 浮気が終わったからと言って それを鵜呑みにして信じるのは 美学にはなりません。
頭から疑って掛る事は良くないですが 少なくとも 信じたふりをして 水面下では注意深く観察くらいはすべきなのです。
浮気が終わって半年後(どういう訳か3か月から半年後くらい)に「やはり信じられない」と騒ぎ出す事になるのは この終い仕事の後の確認作業が甘かった場合が多いのです。
後々、信じられないと嘆くくらいなら 浮気が終わったとする、その直後くらいは注意深く観察する事は 何も悪い事ではありません。
妻は夫を信じるべき・・・なんて 美談に頼ろうとすると 後から現実に目を覚ます事になります。
信じる、信じないという事ではなく、物事は 石橋を叩きながら 自分の感覚で確認をする。
この事が後々の結果に、大いなる違いを生み出します。
夫婦は信じあい、信頼し合う事が大切ですが それをするのは もう少し先ではないでしょうか?
浮気が終わった直後から すぐに信じろという事は くすぶって 煙の出る火事の後に 見えないように毛布を掛けるような物。
例え 冷たいと思われても 水を掛けて、完全に火が消えたかどうかくらいは慎重に確認しましょう。
では、今日はここまで。