浮気後の夫を信じるという事
浮気後の夫を信じられない?
水曜日は映画のレディースデイ・・・・・私はちょっと時間が出来たら、よく梅田のステーションシティーシネマに行きます。昨日は梅北、グランフロント大阪のプレーオープンに行く人の群れをかき分けながら 映画館に向かいました。
特に見たい映画を決めずに行くときは 到着時間に開演されるものを選びます。その時点でちょうどいいのが「リンカーン」でした。あまり伝記物は好まないのですが 監督がスピルバーグという事もありコーラとポップコーンを買い、着席。
ストーリーは南北戦争の終結と、奴隷解放制度の法律13条についての評決でした。
映画の感想や評価は色々あるかもしれませんが 中でもリンカーンの妻との葛藤に注目しました。
私はこういう相談業をしていると 何でもそこに関連付けて見てしまうというより、右目で映画を見ていても 左目では夫婦問題に着目してしまうという、どこかいつも冷めて仕事の事が頭にあります。
これは仕事人間という意味では無く、いつも人間ウォッチングしている癖のような物です。
そこで リンカーンは子供を病気で失っているのですが 妻がその苦しみから、偏頭痛の後遺症に悩まされています。その妻のストレスにリンカーンは思いやりながらも、その妻のストレスにリンカーンも悩まされています。まるで家庭内のプチ戦争です。
一国の大統領が人民を自由に導く大偉業を成し遂げて行く傍らで、妻には何ともできずにいると言うのは、古今東西どこの家庭も同じだな~と感じてしまいます。
家の中では妻が、大統領・・・・その妻の指図である公務では手袋をはめる事を嫌がるリンカーン。
些細な抵抗も見られる人間的な所もさることながら、私は二人が子供を失うという同じ体験をし、
親としては同じ悲しみを共有しているにも関わらず、妻は夫が自分の悲しみを理解していないと感じる事の悲しさ。
リンカーンはそこを苦々しく思うのではなく、根気強く寄り添っていく姿は 日本の家庭にもよくある光景なのです。
それにしても子供を失うという同じ体験をしながら 心が離れて行くというように妻は感じていますが決してそうではありません。
お腹を痛めて産んだ子供だけに 妻の方が悲しいとか、夫の方が・・・という議論はさておき、妻は子供の容態が大変な時に夫が仕事漬けで家庭を顧みないという事が 子供を失った事の悲しみを輪をかけて、その後、何年経っても その時の夫の多忙を心の冷たさと捉え、それ+妻の悲しみを理解しなかったという風に刷り込まれている為、ずーっと夫を許せないという事が 本当の後遺症だと思うのです。
こうして 夫を許せないという感情は 私たちの日常にも起きてきます。
夫を信じたいが信じられないというのも 実はこの「許す」という作業が出来ていない時があります。
ここで言う許すという事は 「本当の意味での許す」です。
いつもコラムで書いているテーマで夫の浮気が終わっても、夫を信じられないという事ですが、これは
浮気の終結を確認するという事がきちんと出来ていない事から起きる事もあります。
つまり 浮気問題で悩まされている渦中では その苦しさのあまり 浮気問題の収束が見えた途端、とにかくそこを早く通り抜ける事ばかりを急ぎます。
私は常々言っていう事に 浮気の後始末と言う言葉があります。
何にでも言えますが、物事は始める事は簡単ですが 終わらせる事は大変です。
特に不倫問題は 始まりは楽しい気持ちで始まりますが その終わり方は苦しみを伴います。
簡単ではないのですが 妻はこの終結の部分には駆け足で駆け抜けようとする為、きちんと夫と女性が別れたかどうかの 確認作業は手抜きの感があります。
そういう人に限って その後「夫を信じたくても信じられない」と訴えられます。
ここで 何度も申し上げてきたことですが 夫が不倫を終わらせたという言葉だけを鵜呑みにするのではなく、必ず奥様も自分の感覚で 本当に終わったかどうかの確認をして頂きたいのです。
これを私は 「終い仕事」と呼んでいます。
夫婦の亀裂は後に残さない秘訣は この終い仕事がきちんと出来ているか、どうかが大いに関係するということを知っておいてほしいと思います。
あら~映画の話からまたもや 夫婦の浮気の話になってしまいました。やはり私の頭の中は
この対策のことばかりですね。
では、また。