浮気後の夫婦修復について
浮気が終わった後の猜疑心今日は夫婦の信頼感に付いてお話します。
当たり前の話かもしれませんが、夫婦が信じあえるという事は素晴らしくもあり必要な事だと思います。
しかし、コト問題がひとたび起きて来ると、その形がいっぺんに崩れ去ります。
特に夫婦の間で、どちらかが浮気でもしようものなら、信頼関係以前の、信用も出来なくなります。
でも、一応浮気問題は終結に向かったとしたら そこから夫婦の修復に乗り出すようになりますが
ここは、まずは御互いを信じあえるようにしようという事で、修復を目指します。
これは 私から言わせると、何かをしようとする時に、形から入るという事を言いますが、
私にすれは、こと夫婦の信頼関係を一度失った後では形からやり直そうとしても無理だという事をお伝えしたいのです。
つまり、何かスポーツでも構いません、テニスでもゴルフでもまずは道具を揃えます。
ウエア―なども最初ですから、結構気合の入ったウエア―を購入します。
これを、形から入ると言いますが これは夫婦の関係においては当てはめる訳にはいきません。
結婚をし、初めて夫婦の形を育てて行くと言う時には お互いを信じ合い、尊重し合うという事は
大事です。確かに新婚生活は 何もないところから始めるという意味においては 形から入るという事で、夫婦がとりあえず信頼するという事からスタートするのは間違ってはいません。
しかし、一旦信頼関係を失った夫婦が とりあえずまた信じるという「形から入る」と
信じあえる関係を失っているので、信じるという事が中々出来ません。
よく私のところに相談が寄せられるのは、「浮気が終わった」とする夫の言葉を信じられず、
いつまでも夫を疑ってしまいます・・・という事に苦しむ妻からの声を聴きます。
逆のケースでは夫が自分が浮気をしていたにも関わらず、その事を棚に上げていつまでも、過去の浮気に拘る妻に「そんなに俺の事を信じられないのか?」と逆切れします。
ここで妻は夫を信じてあげたいのに 信じられないという風に、まるで妻は自分がおかしいのではないかと、自分を責めます。
でもここでよく考えて下さい。
私はよくお金の貸し借りの話に例えるのですが 一度知り合いにお金を貸したとします。
それをきちんと返してくれない場合には 次にまた貸してほしいと言われても、中々信じる事が出来ません。
人の信頼感って、信じようと思って信じるものではないのです。
疑う余地のない事の積み上げが 人と人との間に信頼関係を築きます。
その信頼感を一度失うとそんな簡単に信じる事は出来ないのが当たり前なのに、夫婦の場合は
早く信頼関係を取り戻したくて まずは信じてみると言う形から入ろうとするので 自分の気持ちに無理が生じるのです。
私は 何もパートナーを信じてはいけないと言っているのではありません。
でも 少なくとも自分が人にお金を借りて、返済を滞ったという実績がある以上、借りた方が貸してくれた人へ、「何故信じないのか?」なんて聞けないと思うのです。
では、何故妻の方が悩まないといけないか、と言うと、恐らく夫が信じて貰おうという努力をしていないと案じる部分があるのではないでしょうか?
例えば、夫が浮気を止めたと解っていても、相変わらず妻に対しての態度が冷たかったりすると、
「おかしいな?浮気は終わったと言っているのに、何なのだろう、夫の視線の冷たさは?」と疑問を抱く訳なのです。
疑わしいというより、信じるところまでの時間が経っていないという事です。
本当に終わった浮気であれば 日にち薬で夫婦の間で、お互いに傷は消えて行きます。
それまでの間は、少々もどかしい物で、苦しみますがそれも後になれば、気が付けば思い出になっています。
だけど、いつまで経ってもお互いがぎくしゃくしている場合は 根本的な夫婦の繋がりがそもそもどうだったの?という原点の話かもしれませんが、実は本当にその浮気が終わったかどうか、疑問が残る場合もあるのです。
そういう時に 無理クリ信じるという事を強要してくる夫や妻がいるとしたら、それはむしろそういう風に思わせたいという意図があるとしたら 早くも信じるという事で早く駒を進ませようとするのは正解でしょうか?という事になります。
これまでも何度も書いてきたテーマではありますが 少し角度を変えて考えてみました。
では今日はここまで。