不倫保険?
さて、日ごろ相談の中で、よく口にされることで「相手が何を考えているか分からない」ということがあります。
これは実は私もそうでした。
長い間、結婚生活の中でこれだけ話をしても、何故分かり合えないのだろうということに本当に長い間悩みました。
しかし、これがあっけなく判る瞬間が来ました。
それは離婚後で訪れました。
私はそれまで結婚生活の中で夫婦の考えが合わない時に、必ず「正か誤」で考える癖があり、物事を考えるときに、「私はこれが正しいと思う」という前提があり、私は~こう思うというフィルターを通して物事を考えていたように思います。
つまり、夫婦の中で考えに誤差ということがあるときには、そこは「問題が起きている」と身構えているので、そこで「私の方が正しい」と無意識にそういう立ち位置に置いています。
こういう立ち位置に立った上で「私は正しい」「私はあなたのおかげで苦しんでいる」と口には出さずとも、二人の考えの溝を埋めようというより、抗議の姿勢が満身創痍でした。
ここに、元夫には私の考えを理解してもらえる訳はないし、特に離婚してから見えた事は
「元夫は負けずぎらい」だと言うことから考えると、夫婦の考えの相違点を調整するというより、元夫は「負けてなるものか」だったのです。
要するに私の考え方は最初から、「私が正しい」という無意識の訴えですから、元夫は
自分が正しいと向かって来る私には、元夫も無意識で「負かしてやろう」という対立姿勢になるのです。
だから私は話し合いのつもりでテーブルに着いても、元夫はまるでボクシングのリングに上るようなものだったのですね。
そもそも女性は話し合いが大好きです。
問題のほとんどが話し合いで解決できると信じています。
それは問題の中身より、「誠意を持って真心で伝えれば判ってくれる」と信じているのです。
しかし、その誠意と考えているものは、一生懸命に唱えるということで扉が開くと思っているのです。
これはもう相手によっては無意味だという事がお分かりだと思います。
私は自分が一番正しいと思っている。
元夫は自分を否定されることが大嫌いで負けず嫌い。
このお互いの特徴を判って話し合いをすれば、まだ何とかなるのに、
それを知らないまま、面と向かっても、元夫は対戦姿勢で身構えてます。
これが判った上で話し合いをすれば、もっと違う結果が出たのではないかな~と
今は考えています。
さあ、そこで何故、離婚してから判ったのでしょうか?
これは、期待をする相手がいなくなったからと考えます。
さびしい話ですが、わかってほしいと思いながら話をしている間は「私は~こう思う」が
前にありますし判ってほしいというのが前提ですから、夫がどう考えているか、というより一方通行になっていたと思うのです。
だから皮肉にも判ってほしいと思えば思うほど、相手の気持ちは見えなくなっていると思います。
しかし、今は私は自分の考えは横に置いて、元夫がどういうつもりだったかが、単体で見えますので(あ、占いではないですよ)純粋にそのものが浮き彫りになります。
それで見えてきたものが、今更ですがたくさんあります。
今、ここでどちらが正しいかということはあまり関係がなくなって「違い」を素直に考えられるようになりました。
ですので、夫婦に限らず、対する相手、例えば子供にしろ、姑にしろ、「どちらが正か誤か」という考えをまず、横に置いて、「違い」を精査するくらいの方がうまくいくのだな、と感じるようになりました。
今日のコラムは、つぶやきですね。
ではまた!