夫の事を知っていますか?
先日のコラム夫婦の勘違い vol1
引き続き、もう少し夫婦間の勘違いについて、考えてみたいと思います。
今回のテーマは家事、特に炊事について考えてみましょう。
例えば、人の家に行き、戸棚にふと、目をやればそこには料理の本がたくさん並んでいたら、そこの主婦は
お料理好きで、どちらかというと料理が得意な人と思ってしまいます。(私はそう思っていました)
しかし、良く考えると私は料理は得意ですが、料理本と言うのをもっていませんし、結婚生活をしていたときも、料理の本に頼った覚えがないのです。
でも、息子達が食べ盛りの友人を急に連れて来ても、深夜の夜食でも、何となくあり合わせで作れてしまいますし、残り物を翌日アレンジして、それなりに作る事ができていました。
こういう料理を家族は「冷蔵庫の掃除」と呼んでいました。
でも友人が家に遊びに来て、私の料理を食べてくれて、後でレシピを教えと頼まれても、あまり上手く分量を伝えられませんし、後で友人が作ったその料理は、大したことなかったという声を聞き、如何に私が目分量で料理を作っていたかを知りました。
私は食べることが好きですので外食もよくしますし、おいしいと思えば 板前さんに作り方を教わります。
それを家に帰って作ると、それなりに美味しく出来ます。
つまり 舌で覚えたものなら人は誰もが再現することができると思っていました。
しかし そうとばかりではないということです。
料理が苦手な友人はかなり分量に神経を使うようですが、これを私は「きっちりした性格」と考えていましたが、
どうやらそうではなさそうです。
作ってみて、何かが足りなければ、適当に何かを足せばいいのですが、その何かが何かを分からない事と足すという分量も判らない為、味の再生が出来ないのだと思います。料理の再現、再生は、味見をすればいいと考えている私はかなり
大雑把な性格と考えていましたが、きっちりした性格というのは、応用が利かないということにも通じるということを知りました。
友人の家には、確かに料理の本がたくさん置いてありますし、他所に食事を食べに行っても何で作られてあるのか、材料などを板前さんに聞くのは私と同じです。これを私は興味津々だからだと考えていましたが、どうやらそうではないという事です。
これまで私は友人の
本棚の料理本は料理への関心の数であり、研究熱心な人だと考えていましたが、実はその逆なのだという事が徐々にわかってきました。
これは私が目分量で料理が出来るという自慢をしているのではないのです。
現に私は片付けが下手ですし、掃除も苦手です。
でも料理が苦手な人の家は、概ねキチンと整頓された家に住んでいます。
前回も書きましたが、家事と言うのは、脳科学的に料理や炊事、そして掃除選択と言うのは全く相反する作業なのだということで、料理とは別の脳部分を使うようです。
昔から 好きこそ物の上手なれと言いますが 料理本を沢山持っているから 料理が好きということではないと言うことです。
特に料理においては苦手意識がない場合は、やっつけ仕事でも、料理ができますし、(ちょっと乱暴な言い方ですが)この適当という目分量が自分で判断できない人は、とても料理に苦手意識で敵わないという感覚を持ってしまうのです。
つまり「敵」はやっつけられなくて敵わない相手ということになってしまうのです。
しかし世の中の夫は炊事も掃除も主婦がする仕事であり、同じ家事グループと考える傾向がありますし、女性であれば、家事は出来て当たり前という考えなのです。
ですから最初は自分の妻が家事を苦手だとは思いもしないのです。
もちろん、奥様も自分自身で得手不得手が分かっていて、それをサクッとカミングアウトを出来れば何も問題はないのですが、中には妻自身も自分の苦手意識に気がついていない方もいます。
日頃より、夫婦の関係が上手く行ってない場合は、不得手な部分を隠したいものですし、
そこを突かれたら、普通より倍ほど嫌な気持ちになるものですが 自分の苦手意識に気がついていない夫婦の場合は
家事分担という役割で考えるようになります。
こうして役割ということになると、仕事と同じようになり、それがどれほど、結果を出せたかということが重要になってきますし
結果が出せなければ、お互いを攻めるということにもなりかねません。
何が言いたいかと言いますと、男性からすると、女性は家事を出来て当たり前とまでは言わなくても
当然出来るものだろうという思い込みが有ります。
そうなると 妻に家事を全部押し付けるとまでは行きませんが 実は妻が苦手意識があるから 夫にも分担させたいと
考えているのです。
この「させたい」という心理が 鍵の部分ですが、このさせたいという上から目線に立つことによって
妻は自分の苦手意識を悟られないようにしています。
本当は夫をおだてて優しく、家事を頼めばいいのですが、家事を妻が苦手ということを自覚がない場合も
ありますし、逆にその家事を苦手と認めることは 女性としてはプライドも傷つくので 夫に甘えるということは出来ません。
プライドと甘えは ま逆に位置するものなのですね。
話を戻しますが同じ女性同士でも、熱心に料理の話題が多い人も食べることが好きな人と料理を作ることも好きという人に分かれます。同じ関心でも、夕飯のメニューにいつも頭を悩ませている人は、話題が料理のことなのに本当は苦手ですし、夕飯を何を作ろうかと決まらない人ほど、苦手意識があるからだという事です。
これまた自慢に聞こえたりすると申し訳ないのですが 私は実は夫に料理などをしてもらいたいとは思わないタイプです。
現に元夫が 仕事をせずにぶらぶらしていた時期も 夕飯を作ってとか、頼んだ事はありません。
また教えながら協力してもらう事も 面倒くさい、
教えているうちに自分でしてしまった方が ずっと早くできるので、頼むことが面倒くさいという性格です。
これを例えば料理の事ではなく、家事全般に広げて考えますと、夫に対して育児を協力してくれないとか、
家事を分担してくれないと言う人は、如何に家事を一生懸命に考えているように一見は見えますが、実は
苦手意識があるから、手伝ってくれない夫を非難しがちになります。
攻撃は最大の防御なりの意識の表れで、無意識で家事の苦手な事を、突かれまいとする、自己防衛なのです。
前回のコラムで「夫婦はライバル?」というテーマで書きましたが、ここにも少し関係していて、夫婦がお互い、負けたくないという意識が働くと、小さな反撃をします。
人間には誰しも、苦手な物があります。
女性だからと言って、誰もが家事が出来るとは限りません。
同じく男性だからと言って、全部の人が仕事が出来て、生活費を稼ぐのが得意という訳ではありません。
結婚をして、独身の時に判らなかった自分の特性は、自分でも結婚をしたから、結婚と言う関係性で初めて
表面化することがあるのです。
じゃ、どうするか・・・
思い出してください。
結婚した時の事。
恐らく、どんな事も隠し事なく、お互いを思いやり・・・
そんな誓いをしたはずです。
お互いに突かれまいと身構えたり、相手に負けまいと征したり・・・
決してそんなことをしたくて結婚したはずではないはずです。
初心忘るべからず、この言葉をもう一度思い出してみて下さい。