ハワイアンジュエリーはモチーフごとに特別な意味がある?
『官約移民』によって、どのように日本人がハワイへ移住していったのでしょうか。 また、その後、日本人移住者がハワイ文化に与えた影響についてもご説明します。
日本人のハワイへの海外渡航
日本は江戸時代に鎖国令を出し、それから長い間限られた国以外の海外貿易・渡航は禁じられていました。
しかし、その後の日米修好通商条約 で鎖国が解禁され、1866年には、幕府が鎖国令で禁じていた学問や商業目的の海外渡航も公認されるようになりました。
これによって日本とハワイの間でも「移民協約」という協約が交わされました。これにより、ハワイにあるサトウキビ畑へ、日本人を労働者として3年契約で正式に送る旨の協約が交わされました。
働き口に困っていた農村部の人たちなどは、こぞってハワイに渡り、その数は約3万人弱にもなりました。
本来、彼らは出稼ぎ労働者としてハワイに向かいましたが、その後色々な理由でそのままハワイに留まった人も少なくはありませんでした。
さまざまな文化から築かれた現代のハワイ文化
ハワイには、日本人だけではなく、欧米やアジア諸国からも多くの移住者が訪れました。
そして、彼らが交流していくうちに、さまざまな国の文化が混ざりあい、現代のハワイ文化が築かれていきました。
例えば、ハワイでの人気メニューである「ミックスプレート」には、白米やお寿司・キムチに酢豚・ソーセージなどが入っています。
これは、先ほども述べたようにサトウキビ畑で契約労働をしていた日本人や、アジア、欧米の国々の人たちが、お弁当のおかずを分け合ったのがきっかけになったと言われています。
また「ロコモコ」も、日本の丼とハンバーグなどの欧米のアイデアが融合したものであるとされています。異なる国の人たちと、さまざまな文化交流ができるというのはとても素敵なことですよね。
着物のリサイクルから生まれたアロハシャツ
ハワイで定番のファッションといえば、「アロハシャツ」スタイルでしょう。
実はこれ、日本人のある文化から生まれたものであると言われています。その文化とは「もったいない文化」。
ハワイに訪れた日本人たちは、サトウキビ畑での作業着である「バラカ」という開襟シャツを使用していました。
そこで、日本人たちは使わなくなった着物を切ったりつなぎ合わせたりしてバラカシャツに仕立てあげたといわれています。
元々和柄というのは華やかで洒落たものが多く、そんなデザインのバラカを見たハワイの人たちに大人気になりました。
そして、日本人が作ったバラカを参考にして作ったものがアロハシャツになったのです。
物を最後まで大切に使う日本人であるからこそ、生まれた発想なのかもしれませんね。
☆興味をもたれた方は教室ご案内ページへ→http://makana-aloha.com/class.html
◇文字を持たないハワイの文化
◇フラの歴史、禁止時代を経て現代へ