自力と他力が両輪となって、全力となる
人生は、ゲームのようなものだと聞くことが
よくあります。
では、このゲームの主人公は誰だと思い
ますか?
それは、「私?」にきまっているだろうと
言われるかもしれません。
ただ、正確に言えば、それは「思考」であり、
心理学的には「自我」ということになります。
私(自我)=思考です。
例えば、記憶喪失になった時、あなた
(自分)であることは変わりませんが、
あなた(自分)であるという認識できなく
なってしまいます。
つまり、自我(思考)がなければ、存在は
してもあなた(自分)ではないということ
になるのではないでしょうか。
考えている時に、あなた(自分)は確かに
存在します。
何も考えなければ、あなたには悩みも
苦しみもありません。
と言うことは、つまり、苦しみは、思考が
作り出しているということです。
ところで、感覚は一切苦しみません。
無論、痛みがあったとしても痛み自体が
苦しむということではありません。
それは、やってくる感覚を解釈し、分別
することで、思考によって苦しんでいる
わけです。
その点、「感覚の世界」はリアルそのものです。
見る(視覚)
聴く(聴覚)
触る(触覚)
匂う(嗅覚)
味わう(味覚)
そもそも、感覚自体はあっても、
「何も起こっていない」のであれば、
一切反応しません。
思考は、観念というフィルターを
通して、感覚を独自に解釈します。
その瞬間、感覚が「出来事」となる
わけです。
そして次に「感情」がやってきます。
たとえば、混んだエレベータの中で
誰かが私の足を踏んだとします。
その瞬間、「あっ、痛ぁー!」と荷物で
手も塞がって身動き取れないのに・・
思わず「バカヤロー(怒)!」と。
リアル(感覚の世界)
↓
思考(解釈、分別)
↓
感情(喜怒哀楽など)
これがゲームの仕組みなんですよね
人生において、仕事、家庭、人間関係
などで様々な出来事が起こりますが、
このゲームの仕組み自体が変わることは
ないということです。