「100%正しい」または「100%間違っている」あり得るのか?
何かに付け、価値がある又はなし
ということを聞くことがあります。
モノにも”価値”があるように
人にも人の”価値”というものが
あるのでしょうか?
ところで、こんなことを言う人が
いました。
「私は愛される価値が無いんです」
正直、「何を持って」とツッコミを
入れたいところですが、そこは
グッと我慢して聞いておりました。
では、その“価値”って何なんで
しょうか?
物理的なものであれば、例えば、
ダイヤモンドなんかば、確かに
価値があるなと合点がいきます。
しかし、人の”価値”となると
どうなんでしょうか?
正直言って、その基準・評価は、
「人間のさじ加減」次第だと
思うんですよね。
ですから、あると思えばあるし、
無いと思えば無いわけです。
そんないい加減なものに、人は、
ずっと振り回されてきたのも
ある意味事実です。
「愛される価値がある私」なんて、
それがあるとしても、とどのつまり
自己満足の何ものでもありません。
逆に「愛される価値が無い私」
それこそ「自己卑下の産物」以外
の何ものでもありません
むしろ、必要以上に承認の欲求に
囚われてしまうところに問題が
あると思うんですよね。
ただし、これは、とても根が深い
思考(観念)です。
「頭では理解しても・・・」の
部類のもので、実際は、なかなか
手強い思考(観念)癖です。
だからこそ、そう簡単に落とせない
のもまた真実ですけどね(苦笑)