実力だけでは上手くいかない
「大人はなんで働くの?」と子供に聞かれたら
「大人はなんで働くの?」と子供から聞かれたら
あなたはなんと答えますか?
「いい生活をしたいだろう」
「食うためにきまっているだろう」
「おまえをいい学校にいれるためだよ」
「家族を養うためだろ」
・・・etc、他にもいっぱい理由はあるでしょうし、
どれも正解です。
こんなの当たり前過ぎて改めて考えてみることも
なかったかもしれません。
そもそも、
誰しも「(仕事)働くことに」に関する
考え方・感じ方は人それぞれです。
人の数ほどあると言っても過言ではないでしょう。
結局、意識しているかどうかは別にして人によって
「価値観」違いますからね。
価値観を変えることは可能か?
この「価値観」は、一度出来上がったら不変
なんでしょうか?
また、「価値観」は未来永劫変わらないもの
でしょうか?
そんなことはありませんよね。
なぜなら、
「元々はなかったものですから」
生まれたての赤ちゃんに価値観があるとは到底
思えませんしね。
あるとすれば、それは「天上天下唯我独尊」と
生まれた時に言ったといわれるお釈迦様ぐらい
でしょう(笑)
それは、「経験」や「他者の影響」や「学び」
などを通して醸成されていくのものです。
つまり、「作られていく」ということです。
だとすれば、「自ら作り育てる」ということも
可能なはずです。
つまり、「価値観(考え方・感じ方)」は変える
ことが可能だということです。
明日喜ぶと同時に悔しくなる
ところで、あなたはこんな話を聞いたことは
あるだろうか?
イメージしながら読んでくださいね。
ある村に神様がやってきました。
とても村人から崇められている神様です。
神様は村人に「明日の朝から夕方まで石を拾い
なさい」と言い、
続けて「次の日うれしくなると同時に悔し
い思いをするだろう」と仰った。
その時、村人達は怪訝そうな顔でお互いの顔を
見合わせ
「えっ??」口々に
「石を?」
「けったいな話やなあ」
と言い合いました。
それでも、朝になって、
「神様の言うことだから仕方ない。拾おうや。」
ということに。
あるものは、朝に一個拾って休み、昼に一個拾って
休み、二個しか拾いませんでした。
次の朝、起きて石を見てみると、なんと石がすべて
ダイヤモンドに変わっているではありませんか!
村人はみんなうれしくなり飛び跳ねました。
しかし、喜んだのつかの間
「なんでもっと、石を拾わなかったんだろう」
悔しがることひとしきり。
神様が言ったとおりのことが起こったわけです。
「うれしくなると同時に悔しい思いをするだろう」
特に
二個しか拾わなかった、村人の悔しがりよう
といったら・・・・
全てはダイヤモンドに変わる!!
この「ダイヤモンド」を、「働く(仕事)」に置き
換えてみたらどうだろう?
「働く」も多くは「朝」がスタート
。
この「朝」には「責任者になって」とか「月次・年次」
とかいった意味もあります。
「
すべては、ダイヤモンドに変わる」
たとえば、仕事には、華々しく注目をあつめるような
ものもあれば、
地味でほとんど人にしられないような
仕事もあります
。
「働く」という意味では価値は一緒なのに
「これは価値ある仕事」
「これはつまんない仕事」
と分けてしまいがちです。
企画を練ったりプレゼンする仕事は格好良くて価値が
高いとか
コピー取ったり、入力作業は価値が低いとか
「ただの石ころ」だと勝手に決めつけて目の前の仕事を
一生懸命やらなかった人は、いつまでたっても永遠に
ダイヤモンドは手に入らないのです。
無駄だと思っている人の目には石にしか見えない
仕事も、神様の目にはダイヤモンドに見えているの
です。
あなたが仕事を選んでるでなくて
仕事があなたを選んで
くれているんです。
だから、
価値の低い仕事なんてないんです。
とにかく目の前の仕事に全力投球すること。
なぜって、あなたを選んでくれた仕事なんですから。
しっかり育てれば、「ダイヤモンド」になると信じる
ことです。