【WLBコラム】『ますます必要とされる自己投資』生き方改革vol8
はじめに
『嫌われる勇気(岸見一郎著)』とは、フロイト、ユングと並び心理学三大巨頭と称されるアルフレッド・アドラーの思想を、青年と哲人との対話という物語形式でまとめた本である。ここで語られるアドラー心理学は、「どうすれば人は幸せに生きることができるか」という哲学的な問いに、極めてシンプルかつ具体的な答えを示してくれる。約280ページで、5つの章、56の見出しで構成されているが、今回はこの中から5つの行動プランを厳選してお伝えする。ぜひ最後までご覧いただきたい。
この記事でご紹介する5つの行動プランを実践することで、このような変化が起こることが期待できる。
・自分に自信が持てる(自分が好きになる)
・他人の目が気にならなくなる
・きちんと断れるようになる
・好きなことに集中できる
・無駄な悩みや迷いが消える
これらはぼく自身が体感した変化であり、いうならば個人的見解だ。しかし、同じような効果を得られる人も多いと思う。実際、これまで5年間実施してきた『嫌われる勇気』の読書実践会(読書&対話を繰り返し、参加者がそれぞれの学びを実践していく会)でも、同じような変化を報告してくれる人が後を絶たない。
プラン①原因論を捨て、目的論に立脚せよ
原因論とは、原因と結果をセットで考える考え方である。しかし、人の行動や感情には当てはまりにくい。これを無理に当てはめることで『決定論』的な解釈になり得る。なぜなら、結果は原因の賜物であり、結果を変えるには原因に遡って、その原因を消し去らないといけなくなる。つまり、すでに人生は運命という物語であらかじめ描かれており、自分にはそれを変える力がないと誤解してしまう恐れがある。目的論とは、人は自分が描いた目的に沿ってしか行動できないし、その目的によって感情も決まってくるという考え方。目的はその時々で変わり得るため、人生は自分の考え方次第で変わるのだし、あなたはその力を十分に持っているという、人間の可能性をどこまでも信じる考え方である。原因論で考える限り、自分は変われない。なぜならば、他者や環境で変わり得る原因は、自分の力だけではどうしようもないからだ。しかし、目的論に立って考えることで、自分を変えることは可能になる。なぜならば、目的は自分の考え方ひとつで変えることができるからだ。
プラン②承認欲求を捨て、普通であることの勇気を持て
承認欲求とは、他人から認められたいという欲求であり、もう少し端的にいうなら「褒められたい」という願いである。承認欲求に縛られる生き方は不自由である。なぜならば、常に他人の目を気にしながら他人の要求を敏感に察知し、その期待に応えなければ褒められない、つまり承認されないから。しかし、他人があなたを褒めてくれるかどうかは相手次第であり、「◯◯すれば褒められる」という方程式は成り立たない。だからこそ、常に他人の顔色を伺っていなければならない。しかし、本当にそれであなたらしく、自由に幸せになれるだろうか?褒められたいというのは、つまり「特別な存在でありたい」という願いの裏返しでもある。「特別な存在」という言葉には魅力的な響きを感じるが、果たして本当にそれはあなたらしいのだろうか?本当のあなたらしさとは、もっと自由でもっと軽快なものではないだろうか?ならば、特別な存在でなくても良く、逆に「普通であること」つまり、誰かと比べなくとも自分自身には価値があることを、自分で認めることの方が大切なのだ。
プラン③劣等感(コンプレックス)を成長に変えよ
人は誰しも劣等感を抱く。それは生まれたての赤ちゃんが何もできない状態からスタートし、徐々にできることを増やしていく過程にも見受けられる。2〜3歳によくみられるイヤイヤ期などまさにそうだ。できないことでも「自分でする!」と息巻くのは、「大人はできるのに自分はできない」という劣等感を克服しようとしている証。そう、我々は誰しも「できない」という劣等感を抱き、それを努力によって克服していくことを繰り返しながら成長していくのだ。なのに、大人になると劣等感を感じると「がんばろう!」という努力をせずに、「自分は情けない」とか「できない自分ダメだ」などと自分を否定し、カラに閉じこもってしまうことがある。さらに、できないことを言い訳に行動しなくなり、やがて他者や環境のせいにしだしたりする。そうなってしまっては、当然だが人生は好転などしない。劣等感を感じたら、それは成長するチャンスである。自分が「足りない」と感じたことなのだから、今後の自分に役立つであろうことなのだ。もちろん、劣等感を感じたもの全てを身につけることなど不可能であるから、理性的に考え、選び取る必要はある。
プラン④課題を分離し、他者の課題を切り捨てよ
自らが承認されることを否定し、普通であることに勇気を持つだけでもだいぶ自由になるが、自分がやるべきことを精査していくことで、さらに自由度が増し、自分の人生を生きられるようになる。それが人間関係のもつれを紐解く『課題の分離』という考え方である。課題の分離とは、例えばこどもが学校から課された宿題について考えればわかりやすい。宿題はこども自身が学力を高めるたり、知識を定着させたりするために行うものである。よって、宿題はこどもがやるべき課題である。これを親が肩代わりすることは無意味だとわかるが、親が無理やりやらせようとすることも、本来的には意味がない。なぜなら、嫌々やった宿題では学力や知識が高まるとは思えないからだ。となれば、親はこどもに宿題をするように促すところまで行い、あとはこどもに任せるしかない。このように「その行為の最終責任を負うのは誰か?」を考えれば、「本来は誰の課題であるか?」が見えてくる。この課題の境界線を超えないこと、先の例で言えば「こどもの宿題はこどもに任せる」という態度が人間関係のもつれを紐解く重要な鍵である。他者が責任を負うべきことを肩代わりせず、無理やり押し付けるようなこともせず、ただ任せ、他者の課題には踏み込まないようにしよう。また逆も然り。自分の課題を他者に背負わせたり、押し付けたりはしないよう気をつけることが重要だ。特に、感情は要注意。感情は受け手が決めるものであって、与え手が決められるものではない。喜ばせようとしても、喜ぶかどうかは相手の課題であるということである。この課題の分離が人間関係を築く上で最も大切な入り口である。
プラン⑤「いま、ここ」に強烈なスポットライトを当てよ
行動プランの最後。この行動プランは「人生は連続する刹那である」という考え方に基づいている。つまり、過去もなく、未来もない。いまこの瞬間だけしかないということだ。過去を変えることができないというのはうなずけるし、未来は変えられそうだが、変わったかどうか検証のしようがない。そういった意味でも、過去や未来を考えても仕方がないのである。しかし、いまこの瞬間だけは、変えることが可能である。サボることもできるし、一生懸命打ち込むこともできる。その判断はまさにその瞬間にしかできず、この瞬間瞬間の積み重ねが人生となっていく。冒頭に述べた「運命という名の物語」など存在せず、後で振り返って考えたときに「運命のような物語」が見えてくるだけである。そう考えれば、過去に執着せず、未来を憂いたりせず、今を全力で生きることだけに集中するべきである。とはいえ、いまこの瞬間を享楽的に生きることは違う。将来為し得るであろうこと大志を見定めて、それが叶うかどうかは別にして努力すべきである。その大志が叶わなかったとしても、つまり成功しなかったとしても、必ず成長することはできるし、その過程を見る人を勇気づけ、結果として、その人生には大きな意味をもたらすのだから。
【補足】迷ったときの導きの星となる3つの考え方
《人生の目標》
行動面①自立すること(自分で自分に価値を見出す心理的自立を含む)
行動面②社会と調和して暮らすこと
心理面①わたしには能力があるという意識
心理面②人々はわたしの仲間であるという意識
これら合計4つの目標は1つだけ達成というのは成り立たない。後先はあるだろうが、全てを達成しなければ意味がない。
《他者貢献》
自分の価値を見失ったときには、他者に貢献することを心がけると良い。他者に貢献できると、「自分には価値がある」と思えるようになり、結果として、自分のことが信じられるようになる。これを自己信頼と呼び、他者を信頼する土台となる。また自己信頼ができると、自分を受け入れられるようになり、どんな自分でも大丈夫という感覚である『自己受容』も深まる。
《ニーバーの祈り》
課題の分離を意識し、冷静さを取り戻すための呪文のようなもの。「神よ、願わくばわたしに、変えることのできない物事を受け入れる落ち着きと、変えることのできる物事を変える勇気と、その違いを常に見分ける知恵をさずけたまえ」
おわりに
以上、人生を変えるための具体的行動プラン5選と、補足として導きの星となる考え方3つを紹介してきた。これらの行動プランを自分に適用し、習慣としていくことで人生は確実に変わるだろう。読書はただ読んで終わりにせず、行動プランに落とし込んでこそ価値が最大化される。そういえば、友人の投資家にこんな話を聞いた。「投資とは、将来何らかのリターンを得られる行動である。何のリターンも得られないものは消費、無駄に終わるのは浪費という」と。読書も同じだ。ただ読んで終わりだとそれは「消費」であり、読んでもいない本は「浪費」である。読書を自己投資と呼ぶならば、きちんと行動プランに落とし込み、人生を豊かにするというリターンを得ていこう。
嫌われる勇気(岸見一郎著)