子育てには「心地よい刺激と楽しい運動」を49
前回までのコラムタイトルは、子育てとは、「その子の内側の体験の世界」に「楽しく心地よい刺激と運動」を加えること、を解説しました。
この子育ては何を意味しているかですが、それは子どもの「脳の可塑性」を促進させることができるからです。
この子育て論をもっと積極的に子育てにアプローチしてみましょう。
皆さんでしたら、どのような「心地よい刺激と楽しい運動」という子育てをしてくださるのでしょうか。
今回からのコラムは、以前に紹介した子どもの心身の発達に「心地よい刺激と楽しい運動」をどう加えていただけるかという視点で子育てを考えてみましょう。
その答えは一つではなく、皆様方なりにあります。
子育てに迷ったときは、その子育てが「心地よい刺激と楽しい運動」に適応しているかどうか考えてみましょう。
また、「その子の内側の体験の世界」の子どもさんには、いろいろな特性があります。
わが子が発達障害であるかどうかということではなく、また、それが何だかんだではなく、わが子を理解し、「心地よい刺激と楽しい運動」を加えてあげることが重要なのです。
この子育ては、胎児から始まります。
それは、その子に「楽しく心地よい刺激と運動」を与えることなのです。
胎児や乳児、幼児(3歳児まで)は「心地よい刺激」です。幼児(4歳以上)以上は「楽しい運動」です。4歳以上の幼児には「心地良い刺激」は並行して内在します。
これが、私の研究における、育児方法であり、「子どもの心身の発達」及び「子どもの心身の伸びしろ値の向上」です。
この取り組みは、すべて脳科学を基にするものです。
また、テニス指導においても同様です。よって、テニス指導においては、他のスポーツ指導者とはすべて異なるものです。
また、この画期的な指導法は「脳を育てること」につながるものです。
「楽しく、心地よい」身体運動と刺激が、脳をつくるは、別にしてコラム掲載しています。
また、脳をつくることが「子育て」ですと、別にしてコラム掲載しています。
どれもこれも、子育てにつながり、またその子の特性を理解しながら、社会へとつなげていけるのです。
「脳を育てること」が「子育て」ですので、皆様ももう一度、最新の脳科学における「運動と脳」の新常識をご理解ください。
前に解説していることを再度述べるかもしれませんが、子育ての皆様が「子どもの脳のことを理解しながら、「子育て」をこれからもお願いいたします。
ご注意申し上げますが、脳というと大人の皆様方は「知識脳」つまり「暗記脳」と早合点しますが、「知識脳」ではありません。
お分かりにならないとは思うますが、子育てに積極的に使うのは「運動脳」です。
もう一つ大事なのは、勝ち負けだけの「運動脳」を使うのではなく、「自分の伸びしろ値」を上げる「運動脳」を使うことです。
子育てにとても重要なことを述べました。
子育ての支援をもう一度掲載します。
次の「子育て」を読んで、皆様方であれば、どのような「心地よい刺激」や「楽しい運動」を子どもへ提供していただけるのでしょうか? 正解は1つではありません。皆さんでしたら、わが子にどのようにアプローチしてくれるのでしょうか?
「心地よい刺激」は、養育者が積極的にかかわることが重要です。
「楽しい運動」は、この子には何が「楽しい運動」なのか見つけてあげることが重要です。
「子育て」解説142
その子の内側の体験の世界」第65回目を解説します。
キーワードは、「その子を知る」「その子にはたらきかける」「その子を見守る」です。
「その子を見守る」の意は、その子を放ったらかしにするという意味ではありません。
その子の特性を理解し、その子が社会に積極的にかかわることをサポートするという意味です。
また、今まで解説してきたことと重複するかもしれませんので、今までのコラムも再読していただければ幸いです。
次は、「その子にはたらきかける」です。
親は、わが子が5歳になるまでに積極的にかかわることがとてもたいせつになります。
これは、子育ては「脳を育てること」で詳細に解説しました。
もう一度、読み直しましょう。
「その子にはたらきかける」22
非実体と代名詞(言語獲得のプロセス)
一語文では、まず実体の呼び名からはじまり、やがて非実体的なものごと(運動、状態など)にも呼び名があることに気づいてその認識表現を覚えていきます。「アンヨ」「ナイナイ」「オーキイ」など、動詞や形容詞です。これがこなせるようになれば、次の「二語文の段階」に移行していきます。
代名詞についてはまだ使いこなしが遅くなります。相手は自分のことを「キミ」と呼ぶのに自分からはそれが「ボク」になるのは不思議で、それが理解できるには相手の側に立ってものを見るピアジェの説く「脱中心化」が進んでからになります。同じ対象が視点の置き方で「ボク」にも「キミ」にも「カレ」になるというややこしい相対的な呼称だからです。同じく「右/左」「上/下」など相対的な位置関係のあらわす言葉も習得に手間がかかります。同じ位置が視点によって「右」にも「左」にもなるからなのです。
あるものを別のものに見立てて遊ぶ「象徴遊び」が、言語発達に合わせてはじまるのは偶然ではありません。象徴遊びも、言語と同様「異なるものをなんらかの共通性によって同じものととらえる」というこころのはたらきのあらわれだからなのです。積み木と電車は違うものですが、でも、直方体という形や押して動かすその動きを共通のものとみれば、積み木を「電車」と見立てることもできます。お皿にのっているという共通性でとらえれば、ままごとの「ケーキ」と見立てることもできます。
「ごっこ遊び」も同じです。自分はテレビのウルトラマンではありあせんが、でも、今こうして闘っているしぐさや決めポーズの共通性によって「ウルトラマン」になりきって遊ぶことができます。
とても大事な、たいせつな「あなた自身のわが子への子育て」が始まっています。
次回に続きます。



