その子の内側の体験の世界44
マザリングの日々から何が育まれるのでしょうか。
<能動的な力の感覚>
泣くつど、親の手によって不快が取り除かれます。
この体験の積み重ねによって、不快に強いられて反応や生理的に泣くという受け身のものだった啼泣が、不快を除くための啼泣、親への能動的なはたらきかけの色を帯び始めます。
人は能動的なくしては生きていけません。
最初に芽生えた能動性を、能動的な力の感覚、私たちが普段使う言葉ですと「自信」の芽生えとなります。
<護られている感覚>
泣けば不快が除かれます、泣けば護られる体験の繰り返しから、周りから護られている感覚、周りの世界への「安心」の感覚が、身体全体で根付き始めます。
心理学者エリクソンが「基本的信頼basic trust」と呼んだもので、これが人間がいろいろな困難はあっても、周りの世界や自分自身をなんとか信じて生き抜いていける最初の土台となります。
<身体感覚の分化>
身体的な世話を通して、身体感覚の分化が進んでいきます。
もちろん赤ちゃんは、ここで述べた「安心」「自信」「信頼」といった言葉で、自身の体験をとらえているわけではありません。赤ちゃんが身体全体で、すなわち肌で感じているだろう言語以前の体験を、私たち大人の言葉に翻訳すれば、こうとでもいえるかなという憶測です。
このように発達心理学や発達理論には、赤ちゃんに対する大人からの視点からの「憶測」や「投影」を出ないところがあります。揣摩臆測による「おはなし」かもしれません。
が、大人たちが様々な観察事実を手がかりに、こうした揣摩臆測をあえてする背景には、赤ちゃんも決して不可知、不可解な存在ではなく、自分達と共通した存在であるはず、という確信があります。
親たちがわが子を自分たちと同じ「こころ」をもつ存在と確信して子育てをしているのです。
次回に続きます。