百日たって
まだ、おりにふれ涙は出るけど、この一週間で、かなり気持ちは落ち着いたと思う。
流れる時間と、周りのたくさんの支えのおかげです。
ありがたいです。
中でも、兄の存在が急上昇。
「ともこを一人ではおいとかれへん」というのと、「ちょうど繁忙期が終わったとこで、休んでも支障が無い」という両方の理由から、忌引きを丸々全部使って、1週間ずっとうちに居てくれた。
そんなに居てもらわんでも大丈夫やでと言ったけど、兄自身にとっても、その時間は必要だったのかもしれない。
あの日、
仕事が終わってから病院に来てくれた。
兄が着いて、ほんの1時間足らずで父は亡くなったのだ。
死亡確認後、主治医からの状況説明を兄は聞きに行って、長い時間戻ってこなかった。(私はもう行かなかった)
お通夜の席での挨拶でも、「父の死を受け入れられない」と言っていた。
離れて暮らしていた兄には、ずっとそばにいた私とはまた違う想いが、たくさんたくさんあるのだと思った。
丸々一週間、兄と過ごした。(30年ぶり⁇)
理系の屁理屈コネ(←偏見)で、私のコトを昔からあほやと思っている(←ひがみ)という兄像だったけど、その固定観念⁇は修正されました。
食事や花のお供えから、父に関わる何もかもに、かなりなオセンチ路線を爆走している私に、ちゃんと付き合ってくれて・・・という以上に、兄も爆走していた。
そのうちまた食べられると信じて父が買い溜めしていた山ほどの食材も、残しといたらツライんやないか…と、次々引っ張り出してくれた。
父がよく行ってた店にも行った。
日常のいろんな場面での父を、いっぱい兄に伝えた。
この家の何を見てもどこを見ても、元気な時の父、母と過ごしてる父、カラダがえらくなった父、最後の数日間の父が浮かんでしまうので、それをいちいち兄に話すことで、哀しみが解き放たれていくようだった。
夜には、今さら言っても・・・というレベルの“後悔”を二人で吐き合った。「なんであの時・・・」「もっとこうしたら・・・」「いや、俺が…」「私が…」
ボロボロ泣きながら、言っても仕方が無い、虚しさと悔しさと、哀しみを吐き続けた。
次の夜には、子供の頃の記憶をあれこれ辿った。
母がよく作ってくれた料理、休みの日の父…
極めつけに、昔住んでた垂水の家の跡地に一緒に行ってきた。
地域一帯がすっかり荒廃していたけれど、ここが家やったと、記憶を合わせて確認し、小学校までの道、その先のバス道までも辿って歩いた。
小さかった頃の目線との違いに驚いたり、微かな記憶が突然鮮やかになったり。
「なんか、世間から離れて非日常な時間をうちら二人で過ごしてるな…」と言ったら、「お父さんがいないことがそもそも非日常や」と言う。
ホントに、丸々一週間使って、兄としか共有できないいろんなことを、いっぱい分かち合った。
必要な時間を過ごしたんやね。
大人になってから、兄とこんな風に過ごせる時が来るなんて、思ってもいなかった。
父のおかげ。
お膳立て?置き土産?
哀しみの中にも、シアワセがちゃんとあった。
兄妹でよかった。
ずっと、こうやって、大事にされてきたんだと、改めてわかった。