ちゃんと聴いてる
父が入院中、新たに母に関わってもらう「小規模多機能施設」の
スタッフさんへ渡す資料として、以前に作っていた母の「生活史」に
追記する作業をしている。
3年前にデイサービスに行きかけてから今まで。
デイサービスの連絡帳や日記を読み返し、この3年の日々を振り返った。
けっこう壮絶やったんやなぁ
毎晩毎晩、夜通しうろうろ歩き回った・・・とか、
トイレに行っても座ることがわからずに、じっと便器を見ていて出てしまう・・・とか、
すごい怒りっぽい・・・
感情が不安定・・・
暴言の大嵐が吹き荒れる・・・
浴槽で立てなくなった・・・とか。
転倒も繰り返し、怪我も絶えず、歩けなくなったり・・・
またぐるぐる歩けるようになったり。
そういう日々を通り越して、今があるのだけれど、
改めて振り返るまで、そういった日々があったことも忘れている・・・というか、
日常の中では、もうわざわざ思い出すことはない。
それよりも、いつも「今」その瞬間、目の前の母と過ごすことの積み重ねで
気が付いたら今日になっていた・・・という感じ。
そういえば、こんなんやったなぁ
(今思えば、あの頃の私、)よ~やってるやんというような、客観的な感想が浮かぶ。
(今はずいぶん手を抜いている・・・要領がよくなったともいうし、まあ、強くなったんかな)
ホントに、あの頃は、しんどかった(はず)。
今みたいに、おだやかに笑って過ごしている日々を想像もできなかったし、
だんだん、私のことも父のことも認識できなくなる母の言動が、
なにより不安で、恐怖であった。
今なんて、朝の一連のトイレや着替えをやっている最中に、
突然「あんた誰や?」と聞かれても、しれっと「トモコチャンやん~」と答える。
「かしこくて~かわいくて~え~子のトモコチャンやで」などと調子に乗っていると
父が向こうで、ハイハイ、よ~飽きもせんと好き勝手言うてるなぁ~~と呆れているし、
母は、「そうか」と言う時もあれば、「知ら~ん」と言う時もある。
いずれにしても、一緒に笑う。
父も一緒に笑っている。
私が誰でも、ソンナコトは別にどうでもイイのだ。
むなしくて、悲しくて、この世の終わりぐらいのショックを受けている自分が
3年前の日記の中には居たけれど。
「忘れていた」ことに驚いたし、でも逆に、とても救われているのだと思った。
「過去と比べない」ということ。
「今、その瞬間のつながりが全て」ということ。
「介護に正解は無い」ということ。
通り越してきた日々の中で、母から教わった、大切なこと。
ちゃんと伝えていかないと。