車いすで
母が最近は元気になっていて、よく動くし、しゃべるし・・・と書いた。
元気になると、本来の性格・・・というとなんですが
我が強い、ちょいといけずな言動や、不機嫌な顔、態度が時折出る
・・・と思っていた。
けれど、どうやら、そんな時は、なにかしらどこか体調的に気に入らんところ
痛いとか、具合が悪いとか、不快とかがあって、
そういったことの表現であるらしいとわかった。
暑くても、お腹が痛くても、喉が渇いても
具体的に的確にその状態を こちらに伝えることはもうできない。
なんか機嫌が悪いな~というとき、
機嫌で済まさずに、まして、本来の性格・・・なんてほっとかず
その奥の理由を慮る必要がある。
こちらのアンテナを敏感にしておく必要がある。
そう思えることは、逆に言うと、
基本的にはいつも母がご機嫌で居る、心穏やかに暮らせている・・・ということが前提。
だからこそ、不機嫌の理由が体調であると、
そう受け取れることは、すごくありがたいこと。
父がとても繊細に母のことを見るようになった。
排便は、出てから(或いは、出かけて)気づく・・・のがいつものパターンだったけれど
座ってから出る・・・そのタイミングでトイレに行けるようになっている。
何も、時間を計ったり、観察・・・のレベルで見ているのではない。
母のゴキゲンの波動・・・
その少しのさざ波をちゃんと受け取ろうとしている。
この夏もなんとか、乗り切っていけるかな。