私が帰っても
最近、母が元気だと書いた。
ベッドの上で、自分で起きて座っていたり、
一人で椅子から立ち上って歩き回ったり・・・
けっこう(その気になっている時は)活発に動き回っている。
父が、母の介護を全面的にやっていく・・・と決めて、頑張りかけたのが今年の3月。
母の状態がだんだん悪くなって、何をするにも手助けがいるようになった頃。
なので、父の中では、
できないことを手助けする・・・というよりは、
何もできないので、なんでもかんでも“してあげなあかん”というのが、
母の介護だったよう。
今は、自分で動こうとする母だけれど、父はつい今迄通りなんでも先に手が出てしまう。
起き上がりも、立ち上がりも、歩くのも・・・
母の動作を見て、ちょっと待って、声かけて・・・しばらく待って・・・
それでもできないこと、わからないこと・・・なら手助けする必要があるけれど
すべて父の動作のほうが、早いのだ。
動かない(動けない)母を待たせることは、うまくできるようになっていた父だけれど
母の状態を見て、“自分が待つ”ということは、なかなかできない。
まあ、本来せっかちな父なので 難しいとは、思うけれど。
すっかりまかせて安心だった状態から、
また横から あれこれ口出しすることになった。
お互い、かなりな忍耐の日々・・・
何はともあれ、“待つ”ということ、
人生においても、なかなかに奥深く、度量がいるコトではある。