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言葉ではなく

坂部智子

坂部智子

テーマ:母の介護

昨日のコラムに書いた、この3年間の母の介護の中で
一つ、明らかに効果があったことを思い出した。
それは、言葉で動かそうとするのをやめたこと。
言葉ではなく、必ず、こっちの動作を先に、あるいは一緒にするようにした。
(体は元気なので、機能的に動かせないところはないので)

当たり前の日常の中では、“言葉”がコミュニケーションの手段である。
あまりに当たり前に使いすぎているので、相手の状況がどうであっても、
伝えたいことを言葉で伝えようとしてしまう。

その結果、「なんでわからへんの」、「何回言ったらわかるん」
「なんで、なんで・・・」と、いらいらして、声を張り上げて・・・の悪循環。

今は、椅子に座っている母に立ってほしい時は、母の目の前にいったん座って、
「さあ、立とっか~」と言いながら、自分が立ち上がる。
そして、手を差し出すと、すんなり立つ。

座ってほしい時は、椅子の前まで連れてきて、
「さあ、座ろっか~」と、言いながら自分が座る。
そして、下から手を差し出すと、すんなり座る。

トイレに行く時も、布団から起こす時も、歯磨きする時も、着替える時も
してほしい動作をこちらがやりつつ、言葉と手を添える・・・という感じ。

言葉をかけるのは、意味が通じているのかは不明だけれど
なんとなく、次に何かするんやな・・・という心構えが、
ほんの一瞬手前にできている・・・・ように感じるので。

父が朝、いつも蒸しタオルで母の顔を拭いてくれるのだけれど、
台所から、「顔拭くで~」と叫びつつ、そばに来たらいきなり顔にタオルをあてるので、
母はとても不機嫌になる。

私は、うるさいぐらいに、
「さあ~タオルできたよ~」「熱いかな~」「ほれっ鼻拭くよ~」と、言いながら拭く。
なんとなく、うまく乗ってきたら、笑っている。

いつもいつもうまくいくわけではないけれど、毎日毎日、繰り返していると、
されることが母にも なんとなくではあるけれど、わかっているように思える。
ホントにたまに、「わかってる」と答えることがある。

同じセリフを動作を何十回と繰り返す。
それが、今の当たり前の日々。

当たり前が“ある”ことの安心。
モチロン うけも狙うし、笑いも取りに行くが。
そんな気持ちのゆとりも、ある。
当たり前を積み重ねることで出来てきたのだと思える。


「葛藤や渦中の中で、光を感じることは、できない」かもしれない。
その状況によっては、ホントに、光など、どこにもないと思うだろう。
私も、またこの先、そういう状況にいくらでも出会うだろう。
でも、光はある。
見えなくても、ある。

私の愛用の日めくりカレンダーの31日のページには、
「雨の日も、雲の上には晴れた空」とある。
皆既月食の夜に、地球の影に包まれたまん丸い月の黒い輪郭を見たとき、
見えないだけで、いつでも月はまる~く輝いてあるんやと、
すごく納得してうれしくなった記憶がある。

自分とはかけ離れたところにあると思えることでも、
森羅万象の中の真実のかけらを、こじつけでもなんでも、自分の味方に取り込む。
自分の体験だけでなく、人からの言葉や、本の中の一文や、そうやって身に着けたいろんなコトが、
倒れそうな時の、なんかの支えにきっとなる。(と、ひたすら単純に信じている)

そんなお守りを、少しでもたくさん貯められるように。
備えあれば憂いなし、で、最近の私は、ますます、貪欲に生きています。
ガツガツ(笑)

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