車いすで
昨晩母は、全く寝ず。30~40分おきに むっくりと布団から起き上る。
まるでモグラ叩きのように、起き上がっては 寝さし・・・を延々繰り返した。
間に、何度もトイレにも行く。
またまた、出る出る・・・の日だったので。
さすがに今朝はもう こっちが疲れ果てて、
6時にトイレを済ませ、替えの防水シーツも底をついたので、
早々に着替えて 起こしておくことにした。
そして、私は“ふて寝”した。
足で襖を押さえて 母が入って来れないようにして。
(イケズ全開である・・・性格悪~~)
それでも、寝れない。
なんかもう神経が研ぎ澄まされてしまったのか、普段聞いた覚えのない時計の音まで
耳に障る。
くそ~と思いつつ、ゴロンゴロんと 無駄に何度も寝がえりを打ちつつ、
結局眠れないまま 時間だけは立って、起きた。
父母は、もう朝食を済ませており、母は、TV の側の椅子でウトウトしている。
(こら~ 今頃寝るな~~~)
こっちは頭がふらふら。
腹立つから、母の足元で、おおげさにバタンッと大の字になって伸びた。
台所からは、父がひたすら何かを揚げている音がする。
(さすがすぎるマイペース)
しばらくして、目を覚ました母が、ここんところもう全くなかったのに突然
「ともこ、ともこ、どうしたん・・・・」と心配そうに私の顔を覗き込んで言う。
私の名前、「ともこ」って、まだ母の中にあったん???
その瞬間、泣きたいような、というよりなんかもう おかしくなって、
眠いのも、腹たつのも、消えないけど、
なんかもうこの日常の中で、ただただ、日々を
積み重ねて行く中で、いろんなことが吸収されてしまうような、
そんな力を感じた。
しょうがない。
どうにもならんことは、どうにもならん。
という開き直りが、投げやりだけではないということ。
諦めたはずのことが、ふいにまた戻ってきたり、
それはまた ほんの一瞬で、現実かすらもう確かめられなかったりもするけど。
日常の力。
一瞬一瞬、その時その時のいろんな出来事も感情も、
全てが積み重なっている。
確実に、悪くなっていく日々の中でも
もがくだけでない、したたかさと、図太さと、
本能的な愛は ちゃんとそこにある。
この先も、何度もまた、きっと繰り返すと思う。
プラスに受け取れる時、どうにもやってられんと思う時。
自己嫌悪と、そこからの逃避と妄想と。
全てを飲み込んで 続いていく日常。
家族3人、支えてくれる周りの人たち。
知っている人知らない人、たくさんのつながりの中、
この日常の力が
そこそこの まあるいところに、なんか納めてくれている
そんな気がする。
自分の暗い黒い塊も、心のすみっこで、てへっと、今日は居心地悪く笑っている。
日常が続くことが、続くと思えていることが
なんてありがたいんやろう。