ぼーっとできない空間
人に雇われる働き方に限界を感じた時期がありました。
仕事が嫌だったわけではありません。
むしろ色々な仕事をしてきました。
営業も好きでしたし、結果も出してきました。
それでも、どこかで自分でやる仕事を探していました。
次の会社ではなく、自分で続けられる仕事です。
方向だけは決まっていました。
ただ、その仕事が何なのかは分かりませんでした。
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そんなある日、何気なく見ていた映像の中で、土佐金という金魚が目に留まりました。
気になった理由は今でも覚えています。
土佐金は育てる環境によって尾びれの形が変わります。
浅く広い専用の鉢で育てることで、尾びれが丸く反り返る独特の姿になるのです。
面白いと思いました。
尾びれの形そのものではありません。
「こんなやり方で形を変えてしまうんだ」
ということでした。
誰が最初に考えたのだろう。
なぜそんな方法を思いついたのだろう。
私もやってみたい。
そんなことを思ったのを覚えています。
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結局、土佐から専用の鉢まで取り寄せました。
当時は仕事になるとは思っていません。
ただ、その仕組みを自分の目で確かめてみたかったのです。
今思えば、昔からそうだった気がします。
結果そのものよりも、
なぜそうなるのか。
どんな条件が揃うとそうなるのか。
そちらの方に興味が向きます。
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土佐金を探しているうちに、昔の知人を思い出しました。
会いに行くと、今の仕事に繋がる話が出ました。
不思議なことに、その前の日にはもう決めていました。
もし仕事の話が出たら受けようと。
なぜそう思ったのかは分かりません。
ただ、その時は自然にそう思えたのです。
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今振り返ると、あの頃の私は答えを探していました。
でも、本当に探していたのは答えだったのでしょうか。
頭では仕事を探していました。
けれど身体は別の方向を向いていたようにも思います。
土佐金を見た時も、
「これが仕事になる」
と思ったわけではありません。
ただ、なぜか気になったのです。
理由を考える前に目が向く。
気づけば調べている。
気づけば動いている。
そんなことがあります。
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人は進むべき方向を考えて選んでいるようでいて、本当は少し違うのかもしれません。
「こうするべき」より先に、
「なぜか気になる」
がある。
そして後から理由が追いついてくる。
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私はこれを、生き返る方向なのではないかと思っています。
楽な方向という意味ではありません。
休むこととも少し違います。
時間も使う。
手間もかかる。
それでも不思議と削られない。
むしろ自然に意識が向いてしまう。
そんな方向です。
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医療機関の待合室で水景を眺めている人を見ていると、似たような場面があります。
魚を見ているようで、魚を見ていない。
ぼーっとしているようで、何かを整理している。
言葉にはなっていないけれど、その人の中で何かが静かに動いているように見えることがあります。
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私はこれまで、
「人は癒しを求めているというより、削られない状態を求めているのかもしれない」
と考えてきました。
最近は少し違う見方もしています。
削られない状態になると、人は自然に何かへ向かい始めるのかもしれません。
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土佐金の尾びれが変わるのも、魚が頑張ったからではありません。
環境が変わったからです。
条件が変わると現象が変わる。
それは魚だけの話ではないように思います。
人もまた、置かれる条件によって見える景色や向かう方向が変わります。
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先に答えを見つけるのではなく、
先に生き返る方向へ向かう。
その結果として、後から意味が繋がってくる。
そんな順番もあるのかもしれません。


