あなたは、魚を見ている側でしょうか。
先日、高校の懇親会で、主任の先生とお話しする機会がありました。
先生は二十年以上、生徒たちを見続けてきたそうです。
毎年、新しい生徒たちと出会い、
時には二年、三年と同じ生徒を見守りながら、
送り出していく。
そんな時間を積み重ねてきた先生です。
先生は、こんなことを話してくださいました。
「良いクラスには、何かを突破する瞬間がある。」
でも、その「何か」が言葉にならないのだそうです。
生徒の誕生日には、毎回クラス写真を撮るそうです。
写真を見れば、
「今回はいい写真だ。」
そう感じる。
けれど、何が違うのかを説明するのは難しい。
私はその話を聞きながら、自分の仕事を思い出していました。
私は水景をつくっています。
長くこの仕事を続けていると、
「今回は自然にまとまった。」
そう感じる瞬間があります。
でも、長く続けた人すべてが、同じ景色を見るわけではありません。
毎回、
「何か違う。」
その小さな違和感を見過ごさず、
立ち止まり、
考え、
また次の現場で確かめる。
その繰り返しが、少しずつ私の見える景色を変えてくれました。
主任の先生の話を聞いて思いました。
長く続けることと、
見続けることは、
同じではないのかもしれません。
同じ時間を過ごしても、
同じ景色が見えるとは限らない。
小さな違和感を見過ごさず、
問いを持ち続けた人だけが、
少しずつ違う景色を見る。
その景色は、
誰かに教えてもらうものではなく、
毎日の小さな違和感の中で、
静かに育っていくものなのだと思います。
懇親会イメージ


