言葉はまわりに影響を与える ~「キングオブコント」を観て~
先日、当コラムにご質問をいただきました。
質問内容は「あおり運転をされ、自分もあおり運転してしまった場合(をどう考えるか※)」というもの。※カッコ内=筆者補足
以前、当コラムでアンガーマネジメント研修のご案内をしたことがあったので、「アンガーマネジメントの立場からどう考えるか?」をご質問をいただいたと受け止めました。
私はアンガーマネジメントを代表する立場ではありませんので、あくまでも一個人としての見解となりますが、私なりの考え方を述べさせていただきます。
ただのクセかもしれない
あおり運転をされたときにどう考えるかは、まずは、相手の運転の程度にもよると思います。
世の中には、車間距離をあまり取らずに運転する方が一定数います。後続車が特に悪意もなく、単に運転のクセで車間を詰めている場合もあります。詰められた側としては気持ちの良いものではありませんが、悪意がない以上、過剰に怒っても仕方がないでしょう。
多くの場合、後続車がどのような意図で運転しているのかを正確に判断することはできません。ですから、最終的にはこちらの「受け止め方次第」ということになります。「もしかしたら、ただの運転のクセかもしれない」と受け止められるのであれば、いたずらに感情を波立てず、いつも通りの運転を続けるのが賢明だと思います。
悪意を感じた場合
とはいえ、中には明らかに悪意を持ってあおってくる人もいるかもしれません。これは場合によっては危険を伴うことすらあるでしょう。このようなケースでは、私であれば、挑発に乗らず安全運転を心がけ、可能であれば進路を譲るか、安全な場所に避難します。なぜなら、この場合に最優先すべきは「自分の身の安全」だからです。
中には、「あおり返す」という選択肢を考える方もいるでしょう。しかし、その先に望む結末は何でしょうか。相手が「自分の運転が悪かった」と認め、反省することでしょうか? あるいは、「自分が勝った」「悪い相手を懲らしめた」と感じることでしょうか?
アンガーマネジメントの考え方の一つに、「ビッグクエスチョン」というものがあります。それは、「自分にとっても周囲にとっても、長期的に見て健康的な選択とは何か?」という問いです。
あおり運転に対してあおり返すことで、たとえ一時的にスッキリしたとしても、それは本当に長期的に見て健康的な選択でしょうか。私にとって望ましい選択は、自分自身の安全を守り、感情を悪化させることなく、落ち着いて運転を続けて目的地に無事到着することです。そのためには、あおり運転を「スルーすること」など、たいしたことではありません。
少し理屈っぽくなってしまいましたが、あくまで、私であればこう考えるだろうという一例としてお聞きいただければ幸いです。
なお、後続車が車間距離を詰めてきたり、運転が乱暴だったとしても、それが本当に「悪意」によるものかどうかを正確に判断するのは、ほとんどの場合困難です。こちらが「あおられている」と感じたとしても、それは思い込みや勘違いである可能性もあります。であればこそ、こちらの「とらえ方」を少しゆるめて、平穏にやり過ごすという対応が、現実的で賢明なのではないでしょうか。



