人生の節目と遺言 ~家族への未来のメッセージ~4
「平等」と「公平」は、同じでしょうか
前回の最後に、
「子どもたちは仲が良いから遺言はいらない?」
というお話を予告しました。
「うちの子どもたちは仲が良いから、相続のことは子どもたちに任せておけば大丈夫」
そう考えている方も多いのではないでしょうか。
確かに、兄弟姉妹の仲が良いことは、とても大切なことです。
ただ、仲が良いからこそ、
「子どもたちで平等に分ければ、きっと納得してくれるだろう」
と考えることもあります。
では、「平等に分けること」と「みんなが公平だと感じること」は、本当に同じなのでしょうか。
今回は、前回予告した「仲の良い兄弟姉妹」というテーマからもう一歩進んで、相続における「平等」と「公平」について考えてみたいと思います。
仲の良い3人兄弟の話
父親が亡くなりました。
母親はすでに亡くなっています。
相続人は、長男、長女、次男の3人です。
3人は昔から仲が良く、お正月やお盆になると、それぞれ家族を連れて実家に集まっていました。
父親も生前、
「お前たちは仲がいいから、俺が死んだ後も大丈夫だろう」
と話していました。
主な財産は、
・父親が住んでいた実家
・預貯金600万円
です。
遺言書はありませんでした。
葬儀などが一段落したころ、3人は実家に集まりました。
長男
「そろそろ、この家をどうするか考えないとな」
長女
「お兄ちゃんが住むんじゃないの? お父さんもそう思っていたんじゃない?」
長男
「昔はそんなことも言っていたけどな。でも俺の家もまだ住宅ローンが残っているし、ここまで維持するのは大変だよ」
次男
「だったら、売ることも考える?」
長女
「でも、お父さんはこの家を残したがっていたと思うよ」
長男
「姉さんが住むか?」
長女
「私は無理よ。仕事もあるし、家族もいるし」
次男
「そうなると、残したいと言っても、誰も住めないよな」
しばらく、3人とも黙ってしまいました。
父親にとっては大切な実家です。
だから残してあげたい。
でも、3人には3人の生活があります。
「じゃあ、預金は3人で同じに分けよう」
しばらくして、次男が言いました。
次男
「家のことは後で考えるとして、預金は3人で同じに分ければいいんじゃない?」
すると、長女が少し考えてから言いました。
長女
「うん……。でも私、ちょっとだけ思っていることがあるの」
長男
「何?」
長女
「最後の5年くらい、お父さんの病院には、ほとんど私が連れていったでしょう」
次男
「うん。それは本当に助かったよ」
長女
「買い物もしたし、役所にも何度も行った。仕事を休んだこともあったの」
長男
「それは分かっているよ」
長女
「別に、お金をたくさん欲しいって言っているんじゃないの。ただ、全部同じと言われると……お父さんは、私がしてきたことをどう思っていたのかなって」
長男も少し考えました。
長男
「それを言うなら、俺もこの家の修理をしたり、冬は雪かきに来たりしていたよ」
すると次男が言いました。
次男
「俺は遠くに住んでいたから、二人ほど何もできなかった。でも、だからって親父のことを気にしていなかったわけじゃないんだ」
長女
「分かってるよ。責めてるわけじゃないの」
次男
「俺も姉さんが金を欲しがっているなんて思ってないよ。ただ……じゃあ、どうするのが公平なのかなって」
また、3人は黙りました。
みんな間違っていないから難しい
この3人のうち、誰が間違っているのでしょうか。
私は、誰も間違っていないと思います。
長女は、長く父親の日常生活を支えてきました。
長男も、実家のことを手伝ってきました。
次男は遠方に住んでいたため、同じようにはできませんでした。
でも、それぞれに仕事があり、家庭があり、生活があります。
仲の良い兄弟だからこそ、それまでは、
「私はこれだけやった」
「兄さんはこれだけだった」
などと比べる必要もありませんでした。
ところが相続が始まると、
「では、財産をどう分けるのか」
を決めなければなりません。
そこで、それまで比べる必要のなかった出来事が、一つのテーブルに並ぶことがあります。
「お墓」はどうするの?
そこへ「お墓」の話も出てきました
話を続けていると、長男がふと思い出しました。
長男
「そういえば、お墓はどうする?」
長女
「お兄ちゃんが継ぐと思ってた」
長男
「なんで俺なの?」
長女
「だって長男でしょう?」
長男
「長男だからって言われてもなあ。俺の子どもは札幌を離れるかもしれないし」
次男
「俺も、お墓のことは兄貴がやるものだと思ってた」
長男
「二人ともそう思っていたのかよ」
少し気まずい空気になりました。
誰かがお墓を引き継ぐことについて、父親も子どもたちも、きちんと話したことがなかったのです。
相続は「人数で割れば終わり」ではない
実は、法律も、遺産を何でも単純に人数で割ればよいという考え方ではありません。
遺産分割では、財産の種類や性質、相続人それぞれの生活状況など、さまざまな事情を考えていくことになります。
また、お墓などは、預貯金や一般の不動産と同じように分ける財産とは扱いが異なります。
ここで細かな法律の説明をすることが今回の目的ではありません。
大切なのは、
家族には、それぞれ違う事情がある
ということです。
実家を残したい。
でも、誰も住めない。
長女には父親を支えてきた時間がある。
長男にも自分なりにしてきたことがある。
次男には、遠くに住まざるを得なかった事情がある。
そして、お墓をこれからどうするのかという問題もある。
こうして考えてみると、
「3人とも同じにすれば、それで公平」
とは、簡単には言えないことが分かります。
相続になって兄弟が変わったのでしょうか
「相続になると、人が変わる」
という言葉を聞くことがあります。
でも私は、必ずしもそうではないと思っています。
この3人を見ても、誰かが突然欲深くなったわけではありません。
長女は、
「私がしてきたことも、お父さんに分かっていてほしかった」
と思っている。
長男は、
「長男だからといって、実家もお墓も全部当然に任されるのは困る」
と思っている。
次男は、
「遠くに住んでいたから何もしなかった、と見られるのは寂しい」
と思っている。
どれも、お金だけの話ではありません。
もともと心の中にあったものが、相続をきっかけに言葉になっただけなのかもしれません。
私は、
相続によって兄弟が変わるのではなく、それまで表に出す必要のなかった気持ちや事情が、遺産分割という場面で初めて表に出てくることがあるのだと思います。
そのとき、一番聞きたい人がいない
3人で話していても、どうにも答えが出ません。
そんなとき長女が言いました。
長女
「結局、お父さんはどうしてほしかったんだろうね」
長男も答えます。
長男
「それなんだよな。家を残したかったのか、俺たちが困るなら売ってもいいと思っていたのか」
次男
「姉さんがずっと面倒を見ていたことだって、親父はどう考えていたんだろう」
そして、
「お墓は誰に頼みたかったのだろう」
という話にもなりました。
3人が知りたいのは、法律の答えだけではありません。
「お父さんは、どう考えていたの?」なのです。
でも、一番聞きたい父親は、もうその家族会議には参加できません。
遺言は「最後の家族会議」なのかもしれない
もし父親が元気なうちに、
「家については、こう考えている」
「お墓については、こうしてほしい」
「長女には本当に世話になった」
「遠くにいる次男も、いつも気に掛けてくれてうれしかった」
と話していたらどうでしょう。
さらに、財産を誰にどのように引き継いでほしいのかを、適切な形で遺言に残していたらどうでしょう。
もちろん、それですべての問題がなくなるわけではありません。
遺留分など、別に考えなければならない問題もあります。
それでも、
「お父さんは、どう考えていたのだろう」
という大きな疑問を減らすことはできます。
遺産分割の難しいところは、一番事情を知っている人が、話し合いの場にいないことです。
だから私は、遺言を単に、
「財産の分け方を書いた法律文書」としてだけ考えなくてもよいと思っています。
自分がいなくなった後の家族に、
「私はこう考えたよ」と伝えておく。
そう考えると、遺言は、
自分が参加することのできる、最後の「家族会議」なのかもしれません。
仲が良いからこそ、難しい判断を残さない
「うちの子どもたちは仲が良い」
それは、とても幸せなことです。
だからこそ、その関係を相続の後にもつないでいきたい。
そのためには、
「仲が良いから、子どもたちに任せればいい」だけではなく、
「仲が良いからこそ、難しい判断を子どもたちだけに残さない」という考え方もあるのではないでしょうか。
誰に何を引き継いでほしいのか。
実家をどうしてほしいのか。
なぜ、そう考えたのか。
そして、家族に何を伝えておきたいのか。
一度、自分自身で考えてみる。
遺言は、家族を疑って作るものではありません。
今ある家族の関係を、相続の後にもつないでいくための「未来へのメッセージ」でもあるのです。
次回予告
第14回 長男に全部任せれば大丈夫?
次回は、「家族への信頼」と「家族との情報共有」について考えてみます。


