相談する機会
最近、不登校に関わる相談や対応が増えています。
不登校になる原因はこれだと言って決める事はできません。背景には複雑な問題があるため、解決できないことがあり、年々増加しているように思います。
最近、社会のそのものに問題があるように思えてなりません。
社会的にも、家庭的にも弱者の立場になる子どもたちが、その犠牲になっているように思います。
個性の時代であり、教育も多様化しているから、従来の学校教育の枠では捉えられないととらえ、不登校の子どもたちに合った教育を作り出そうとする動きもあります。
しかし、不登校の子どもたちの個性と捉えることに若干の心配があります。
学校のような集団生活は、学校だけではありません。
地域社会であっても、社会人になって勤める事になれば、組織の一員としての集団生活があります。
学校生活は、集団生活の基礎を学ぶ大事な環境になります。もちろんその前提には、家庭という集団生活の元となる生活があります。
人との関わり方を学ぶ機会が、幼い頃に沢山あれば、社会に出てからも大いに役に立ちます。
その意味から考えると、自立した人間となって社会の中で生きていくためには集団生活は、とても重要だと思います。
集団生活の中では、相手を気遣い、思いやる気持ちをもち、時にはぶつかり、時には我慢を強いられたり、失敗したりすることがあります。
そんな体験を幼い頃から学ぶ機会が集団生活です。その貴重な機会を奪っていないか、考える必要があると考えています。
この失敗体験や辛い体験は、社会に出てから役に立ちます。乗り越えようとする姿勢も役に立ちます。
社会人になって初めて体験するのでは遅いと思います。
入った組織に馴染めないからといって、組織を問題にするのではなく、その組織に馴染めない自分に問題はないかという視点がもてないかもしれません。
至らなさを見つめる事は、成長につながります。
逃げていては停滞します。退化します。
また、生活も不安定になります。
そのように社会人にならないためにも、社会に役立つ人間として、視野を広げ、自分を見つめる体験は、幼い頃の集団生活の中で学ぶことができます。
親さんの力には限界があります。まして、変化の激しい時代に生きる親さんは、その変化に対応するだけで精一杯です。
子どもが生きる次代を見据えて、どんな生き方をさせたらよいのかを考えるゆとりもなく目の前の出来事に振り回されても仕方ありません。
子どもたちがその犠牲になっていると考えると、個性だと捉えることがとても危険なように思えてきます。
家庭や学校という環境の中で、もっと学ばなければならないことがあるのに、お座なりにされていないか危惧しています。
例えば、夢や希望を語る親さんが少ないように思います。子どもが夢を語らず、目の前の出来事に反応しているだけでの生活になれば、ストレスがたまっても仕方がありません。
(「夢のためならば、辛くても頑張ろう」「この体験は、必ず、夢の実現の役に立つ」などといった見方で子どもと接するとストレスは小さくなります。)
このようなことが原因で不登校になっている子がいるとすれば、個性とは、かけ離れたところに不登校の問題解決の糸口が見えてきます。
私は、そんな子どもたちが多いように感じます。