後世に残すもの
ネットでのメールのやり取りが多くなり、対面でのやり取りが少なくなったように思います。
ネットを利用した言葉による情報伝達や交流が、増えることは、自分の都合のよい時に確認できるメリットがあります。また、じっくりと時間をかけて得た言葉を熟考する事ができるのもメリットになります。
しかし、受け取った言葉は、自分の頭の中で処理されます。
言葉を理解するのは、自分で、自身がこれまで生きてきた体験や経験を元に築かれた叡智を利用して、話し手の伝えたい内容を精一杯理解しようと努力します。
所詮、「言葉」ですから、その言葉から読み取るしかありません。
精一杯努力しても、その理解が、話し手の意図にあっているかどうかはわかりません。
直接話をする時には、言葉以外の顔表情や身振り手振り、声のトーンなど言葉以外からも情報を得る事ができ、話し手の真意がとらえやすく、直ぐに反応できます。そのため、話し手もこちらの意図が伝わっているのか直ぐに確認できるので、スムーズに話し手の意図が聞き手に伝わります。
言葉だけならば、全て自分の都合のよい解釈をしてしまいそうです。これは大きなデメリットになりそうです。
伝言ゲームは、正にこれだと思います。
少ない情報を正確に伝える難しさを表しています。
コミュニケーションは、言葉を伝えるというよりも、互いの思いを伝え、相手のことを理解し合う事ですから、この視点から、どれ程の情報が必要なのか、それをどのように獲得すればよいのかは、自分で判断しなければなりません。これが、コミュニケーション能力を高めることになります。
言葉だけで相手を理解できるものではありません。言葉に反応するのではなく、相手の真意を探ろうとする姿勢が「聴く姿勢を持つ」「話を促す」「質問する」といった行動になります。
このような行動が上手くできるようになるには、やはり対面してやり取りする事が重要だと思います。
これは、まさに体得になります。
いくらAIが発達しても、体得によって得られるコミュニケーションにはかなわないと思います。
そして、体得によるコミュニケーション能力を伸ばし続けない限り、人間が機械にとってかわられる時代が来てしまうのではないかと危惧しています。