純粋に生きる
地域のまちづくりの事業を考える授業を行ったところ、
「自分の知らないところで、いろんな人が動いてくれている事がわかった」
と言う感想をいただきました。
「知らないところで」
「これだ。」と思いました。
私たちは、当たり前のように行っている事の裏で、多くの人の支えがあることに気づかずに生活していることがあります。
1日の行事で考えてみても、参加する側は、たった1日の出来事であっても、1日の行事を準備する側は、かなり前から時間をかけて準備をしています。この気づかないところで、動いている人がいるから、うまく行事が行われます。
自己主張する人が増えている時代で、何でも、「私が」「僕が」と自分の意思で動いているように錯覚している人が多いように感じます。
この「知らないところで支えてもらっている人々」が、大勢いることに気付いていないかもしれません。
そればかりか、自身が、誰かのために、「知らないところで支えている人」になっていることもあります。
もしかすると、気づいていないだけで、自身が考えている以上の人の支えになっているかもしれません。
例えば、ゴミが落ちていない、いつも綺麗なまちであり続けているのは、一人ひとりがゴミをしない努力していることもありますが、ゴミを拾う人がいるからです。
ゴミステーションが、いつも美しく保たれているのも、同様です。ゴミ収集車の去った後に後始末をする人がいるから、美しさが保たれています。
仕事も同じです。お金を稼ぐための手段かもしれませんが、その仕事があるのは、世の中に必要な仕事だからです。
不要な仕事ならば、消えていきます。
必ず誰かの役に立っているはずです。
目の前の仕事が、誰のために役立つ仕事なのかを考えてみると、仕事の価値が高まってくるかもしれません。
まちづくりは、この「知らないところ」で、住民のために動いてくれる人がいるから成り立っているように思います。
人の知らないところで動ける事が、とても魅力的に見えてきました。