あなたの利き手はどっち?
行き違いがあったり、不手際があったりしないように、事前によく話し合ったり、記録を残したりすることがよくあります。
それにも関わらず、うまく進まない時に、
「前もって、話したのに!なぜ、やってくれないの?」
と、不満をもつことがあります。
私たちは自分しか体験できないので、自分と同じように誰もが理解すると考えています。
「これだけ丁寧に話したし、うなづいていたので、わかっているはずだ。」
と考え、疑うことはありません。
自分の理解の仕方がそのまま相手の理解の仕方だと思ってしまいます。
言葉を通して理解をするがことが多いのですが、そもそもその言葉は、自分が体験して得た言葉ですから、一人一人体験が違うので、言葉の理解にも違いがあって当然です。
例えば、
「子どもが、転んで怪我をした。」とします。
怪我をした部位は、どこか。
怪我の程度は、どのくらいなのか。
まったくわかりません。
でもこれだけの情報であっても、理解しようとと脳が働きます。この時に役立つのが、過去の体験になります。
転んだ状況もわからないけれども、何らかのイメージが映像となって、頭に浮かび上がると思います。
このイメージに違いが生まれます。
ある人は、膝を打って、膝小僧に軽い擦り傷をしている様子を浮かべます。
また、ある人は、転んだ拍子に、腕を骨折した様子を浮かべます。
また、ある人は、転んだ時に手をついたため、手のひらに傷を負った様子を浮かべます。
このように、イメージが人によって異なります。
足りない情報であっても、脳は、「わからない」を嫌うため、必死にイメージを作り上げます。
これを避けるのが、「質問」です。
質問をし、詳し情報を手に入れようとします。
しかし、その質問さえ自分の体験から作り出されたものですから、十分な理解にはつながりません。
一番理解を深めるために役立つのが、「体験」です。
体験は、一度に多くの情報を得ることができ、理解を深めることになります。
うまくいかなかったからと言って相手を責めても、取り戻すことはできません。補うしかありません。(この例ならば、実際に怪我を見る事になります。・・・・・百聞は一見にしかず)
責めても関係が悪くなるだけです。
うまくいかない時こそ、相手を理解するチャンスと考え、冷静に対応するしかありません。
まさに、自分が試されている瞬間です。