言葉に振り回されない
子どもの頃、親から「勉強しなさい。」と言われると、
「うるさいなあ。今しようと思っていたのに。」
と、反発したくなった事を思い出しました。
そして、今でも同様な事をしている事に気づきました。
新たな提案をした時に、問題点を指摘されると、つい反発したくなるのです。
問題点を指摘されると、何となく提案を否定されたような気分になります。
それがよい事だと分かっていても、素直に受け入れられないのです。
これは、脳の働きによるもので、避ける事はできません。
私たちの脳は常に安心安全のために働きます。
一生懸命に提案内容を考え、自分の全精力を費やした資料となると、その提案と自分が同一化し、提案資料=自分となります。
そのため誤字一つでも指摘されると、腹が立ちます。
誤字を使う未熟な自分なのだと思われているように感じてしまうからです。
思い入れが強ければ強いほど、その傾向が強くなります。
子育てをしている親が、子どもがミスをすると、自分がミスをしたように感じてしまうことと同じです。
対象が、資料であっても、人であっても無関係です。
同一化すれば、対象が何であっても、自分事になってしまいます。
丹精込めて作った作品を壊された時に感じる悔しさも全く同じです。自分と作品が同一化したために湧き上がる感情になります。
このように同一化は、対象を大切にする時には、とても重要な働きをしてくれます。
ただし、変化させる時には、これが邪魔をし、抵抗になります。
「変えたくない。」「そのままがいい。」
と考えるため、変化を避けようと感情が動き、この場合、私は、怒りを感じたことになります。
変化を求める場合は、対象から一旦離れる事が役立ちます。
陶芸家が、できた作品を割ってしまう時の心情がこれに当てはめる事ができそうです。
よりよいものを求める姿勢が、目の前にある対象を不完全とみなすことができ、指摘を受け入れる事ができます。
壁となって受け入れたくないと思っていることでも、よりよいものに仕上げる上で必要なものになれば、壁が壁ではなくなってしまいます。
今回の提案についても、「よりよい提案にするための大切な助言」と捉える事ができれば、腹を立てずにすみます。
子育てについても同様です。
「この子にとって、今ミスすることが、成長のためには必要なのだ。」と捉えれば、同一化して湧き上がる感情を止める事ができます。
ここまで考えると、壁は、自分が作っているだけで、もしかすると壁ではないのもしれません。
自分が壁にするから壁になるだけのように思います。
壁と捉えてしまう時、自分と対象が同一化していないか自分を見つめてみるとよいかもしれません。