感謝が形になる
母親の躾について心配した祖母から、悩み相談がありました。
「親の言う事を聞くように厳しく躾した方がよいと娘は言って強く孫に当たり、孫が可哀想だ。」
という主旨でした。
子どもの躾については、様々な考え方がありますが、これだという答えはありません。
物には取り扱い説明書があって、その通りに扱うことでうまくいきますが、子育てにはそれがありません。
世の中に出回っている子育ての本は、1冊ではありません。様々な本が出ています。それだけ多様な子育てがあります。
そして、はっきり言えることは、我が子のために書かれた本などないということです。
どれも躾のためによいと思われる内容が書かれていますが、我が子のある一面には役立つかもしれませんが、別の面から見ると役立たないかもしれません。
ですから、世の中からいただく躾の情報は、それぞれの状況に合った子育ての情報であり、我が子のための情報ではありません。
言い換えると、目の前の現実から離れて書かれた本には、目の前の家庭に対応した答えは書かれていません。
子育てに一番役立つのは、両親が育てられた親から受け継いだ情報です。
子育てを初めてする親にとって、教科書になるのは、自らが親に躾けられた躾になります。そして、そうやって躾けられて大人になって、今、子どもの前で生きているのです。
目の前にある環境に一番うまく適応して生きている親が、子どもにとっては、理想とする生き方になります。
身体に染みついたものが、躾をするときに一番使いやすいもので、無意識のうちに躾けています。
例えば、時間に厳しい親に育てられた親であれば、時間を守らなかった時には、厳しく子どもに当たる事になりますが、それほど気にしない親に育てられた親は、それほど気にならないので、躾けることはしません。
目の前にある環境に一番順応している親自身がのびのびと生活している事が躾になると考えれば、それほど力はいりません。
もし、育てられた躾に疑問を持ち、違う情報を得ようと新たな取り組みを取り入れれば、意識的になって試行錯誤するしかありません。
ただ、これからの時代に生きていくためには、目の前にある環境に順応するだけでは十分でないと考えると新たな挑戦が必要となります。
それは、子どもだけでなく、親にとっても新しいことになるので、親自身も学びの機会ととらえて、一緒に磨く事になります。
この学びを一緒にしないで、子どもに押し付けて、躾けようとするために悩み苦しむ事になります。
親子ともに身についていない事のため、試行錯誤を繰り返すことになれば、躾に悩むと言うよりも目標となって、問題解決をする事になります。知恵を見つける機会になります。
そうであるにも関わらず、上手くいかないのは子どもが悪いと、責任を子どもに押し付けると親子関係が崩れてしまい、躾けられません。
一緒に山登りをするつもりで、取り組めば無理を子どもにさせることはしません。子どもの体力に合わせた山登りができます。
でも、山の頂上に自分が先に立って、遅れて登ってくる子どもに「早く登ってきなさい。」と声をかけても、子どもの状況をつかめず子どもに負担をかける事になります。これが押し付けの状態です。
子育ては、子どもが伸びるだけでなく、親も伸びる機会になります。
決して親の思い通りに育てる事ではないと考えないと、躾られる事も躾けられません。
親自身ができないことを子どもに押し付ける事になります。
早寝早起きができる子にしたい→親も早寝早起きしていますか?
勉強を一生懸命に取り組ませたい→親も勉強してますか?
思いやりのある子にしたい→親も思いやりを発揮していますか?
挫けない逞しい子にしたい→親も挫けず、逞しく生きていますか?
「子どもは、親の言うことはしなくても、親のすることはする。」
すべ親次第です。