スランプを乗り越える
一旦思い込んだら、なかなか変えられないのが、私たちのようです。
脳は、複雑なことを嫌うため、単純になるように働きます。
「好きか、嫌いか」
「やるのか、やらないのか。」
「できるか、できないか。」
など、どちらかはっきりさせると、動く事ができます。
厄介な事に、一度動くとなると、それに関わる理由をどんどん集めていきます。そして、その思いを強化していく事になります。
関係性が悪化すると、相手の粗探しをし、関係が悪くなった原因を相手にしたり、気に入らない言動を見つけて、自分の判断を正当化したりします。
例えば、夫婦間のトラブルでも一旦相手をダメ人間にすると、ダメな部分が次から次へと見つかり、ダメ人間との判断は正しいと思い込んでしまいます。そして、関係を益々悪化させる事になる事があります。
本当はそんな面だけではないのにダメな面だけを見ていくことになります。
「昔は、もっと優しい人だったのに。」とあたかも人が変わったかのように見えてしまうのも脳の働きによるものです。
これも過去にすることで、ダメ人間を正当化するための材料にしてしまいます。
実際には、いろいろな面があり、その時々に自分の都合の良いように見ていただけなのですが、全体を捉えると複雑なので、単純にしたくなる脳の働きによって、その時々の見方を変えてしまっていたのです。
このように考えると、複雑な事を扱う時には、一旦自分の判断を疑ってみる事が必要になります。
これは、人間関係だけではでなく、仕事でも、役割でも、どんな事についても同様です。
「面倒だ。」・・・・「面倒でないかもしれない。」
「負担だ。」・・・・・「負担ではないかもしれない。」
「嫌いだ。」・・・・・「嫌いではないかもしれない。」
「難しい。」・・・・・「難しくないかもしれない。」
「厄介だ。」・・・・・「厄介ではないかもしれない。」
「嫌いだ。」・・・・・「嫌いではないかもしれない。」 など
その時、「いいえ、間違いない。」と少しでも思っていると、脳は単純が好きなので、疑わせないように働き、疑わない内容を次から次へと引き出してきます。
ですから、本気で疑う事が大事になります。
そのためには、冷静に判断する必要があります。
その時、他人のように自分を見つめる事が役に立ちます。
例えば、出来事を振り返る時に
「〜したあの人は、ダメ人間だ。」と判断したとします。
このままだと、次から次へとダメな事実を想起させてしまいます。
この判断を一旦、記録します。書いたら、深く考える事なく、相手から離れて、別の事をします。例えば、読書をしたり、買い物をしたり、テレビを見ながらおやつを食べたりします。
その後、第三者が、書いた記録を何気なく見たかのように、眺めてみます。
その時、書いてある事を疑いの目で見ます。
「ダメ人間ではないかもしれない。ダメでないところが、必ずあるはずだ。探してみよう。」と、自分に声をかけます。
そして、
ダメでない部分を見つける事ができれば、
「ダメなところもあるけれど、そうでないところもある。単純に考えられない。」
となれば、冷静に判断した事になります。
複雑さがわかれば、相手はダメ人間ではなくなり、ダメ人間という思い込みが解消されたことになります。
現在、私は、日記をつける習慣を身につける事ができたおかげで、かなりこのような冷静に判断できる事が増えたように思います。
一度、挑戦してみては、いかがでしょう。