前提を考える
好き嫌い、楽しさ、気持ちよさなど、感覚が重視される事が多くなり、身体で感じる体感覚が重視される時代なのだろうと感じています。
ハラスメントが大きく取り上げられるようになったのはその典型ではないでしょうか。
感覚は、個々によってかなり異なります。
特にストレス過多の現代社会において、体感覚が過敏になっている人が多いように思います。
成長を願って厳しい声をかけたとしても、「ありがたい。」ととらえるか、「辛い。」ととらえるかは、受け手次第になります。
互いに信頼関係が築かれていれば、厳しい言葉でも受け入れる事ができます。しかし、関係が悪ければ、それを受け入れる事ができません。
言葉や行為の問題ではなく、そこにどんな人間関係が築かれているのかがとても重要ではないかと思います。
良好な関係ができていれば、心理的距離も近いため、柔軟に対応する事ができます。危険ととらえるのは、心理的距離が遠いからだと思います。
事例
ハラスメントの問題で町長が辞職したニュースが流れました。
「町長の言動について、第三者委の報告書では、町長室や役場内などで女性職員の頭や尻を触ったり、背後から抱きついたりする行為など計99件をセクハラや不適切行為と認定した」とありました。
町長は辞職しましたが、
「疲れました、心身ともに。報道もすごく来る。逆の立場になってみ、大変やで。自分がしでかしたことなので仕方がないと言われれば仕方がない。やっぱり心が折れるよ。いくら気丈な心を持っていても」(「グッド!モーニング」2024年2月29日放送分より)
と答えています。
私たちは、他人の家に入る時には、相手の許可を得てから入ります。
町長は、自分の言動が、「玄関が閉まっているのに、勝手にドアを開けて入った」と同じ事だと気づいていないように思いました。
心理的距離は、入ってほしくない見えない家になります。見えない家の中にいるのに、その家の中に土足で入り込まれれば、誰でも拒みます。
特に上下関係がある場合は、すでに力関係があるため、心理的距離を近づけるためには、相当な努力が必要だと思います。
怠ると直ぐに土足で入り込む事になります。
私は、その努力を怠った事がこの事例の本質のように思います。
そして、自らを戒める事例と考え、自分の言動に責任を持ち、精進したいと思いました。