利他心が働く時
私たちは、常に選択を迫られて生きています。
無意識のうちに当たり前のように選択することもあれば、意思を働かせ、思考を巡らせ、判断し、選択することもあります。
後者の方が多くのエネルギーを使います。
ストレスを抱えるのは、この後者の場合になります。
能登半島地震の報道番組を見ると、地震から1か月が過ぎ、今後の生活を考え、大きな選択を迫られている被災者の方々が多く登場するようになってきました。
過去と切り離して、未来だけを考えることができれば、きっとストレスも少なくなりますが、どうしても過去を引きずりながら未来を考えるのが私たちです。
まして、天災のため強引に過去と切り離され、望んでもいない未来を選択しなければならない被災者の方々の苦渋の選択を思うとやり切れない思いに駆られます。自然の惨さを感じます。
そして、そのストレスの大きさは計り知れません。
過去を切り離すためには、時間が必要です。
その時間さえ、与えられずに、早い決断を迫られている感じさえします。
何と無慈悲なことだろうと思います。
でも、最近、思うのですが、意思を働かせた選択は、どの選択であっても、その時の自分が精一杯考え、選んだもので、誤りはないないように思います。
必ず、選んだ選択肢につながる未来があり、その未来の中で、生き抜く人生があります。
選択を後悔することがあるとすれば、それは乗り越えるための壁であり、自分を磨く機会になります。
そして、真摯に向き合えば、必ず、助けが現れます。
選択した勇気と真摯な取り組みは、責任を生み出し、そして、生きる自信を与えてくれます。
神様は必ず、その姿を見て、手を差し伸べてくださるように感じます。
全て、私たちは、見えない大きな力に導かれて、生かされているようです。
まるで、孫悟空がお釈迦様の手のひらの中で動いているようなものです。
どのように選択しても、私たちには、「生き抜く力」が、与えられているのだろうと思います。