命の尊さ
無宗教の私ですが、自分の力では、どうしようもならない大きな力が働いて、世の中が動いているように感じる事があります。
特に年の初めに能登半島地震、羽田空港衝突事故など衝撃的な出来事が起き、また、政治資金の問題で、国会が揺れています。災害や事故や事件という暗い話題が多く、何か神様が私たちに何か警告を発しているのではないかと考えてしまいます。
世の中には、自分の力で変えられるものと変えられないものがあります。
自然災害にように自然の大きな力には到底太刀打ちできません。
でも、事件や事故は、私たちの力が及ぶところで、努力すれば、変える事ができ、事故や事件をなくすことができます。
航空機事故については機長への聞き取りが始まり、詳しい事が、今後明らかになりますが、これまでの調査で明らかになったことに基づいた対策が練られています。
一方、政治資金の問題について、現在国会での審議が行われていますが、私たち国民の政治への関心の薄さが、このような事件を引き起こしたように思います。
私もそうですが、人から見られていると思えば、それほど簡単に悪いことはできません。
誰も見ていないと思えば、悪いことはしやすくなります。
そして、もし関心が薄い人ばかりであれば、単なるミスだと、誤魔化すこともできます。
ここには、法に従えば、何をしてもよいという驕りがあるように思います。
事件に関わった国会議員の姿にはそんな姿に見えます。
地域のため、国のために働く事ができる人は、それなりの「徳を持った人」でなければならないと思います。
信頼関係は、その「徳」によってつながる関係だと思います。ところが「徳」ではなく「得」でつながっているため、このような事件が起きるのではないかと思います。
「得」を感じる人が政治に関心をもち、「得」を感じない人が、無関心でいるように思います。
そのため、自分の生活が政治に支えられていると実感がなく、他人事のように捉えている国民が多い事が無関心になっているように思います。
「関心が薄いのは、政治が悪いからだ。」と責任を自分に課さないうちは、政治に関心は持てません。
また、「損」「得」を感じないため、「政治を何とか変えなければ。」との思いには至らないだろうと思います。
震災で困っている人のために動き出し始めたボランティアの方々がいます。
自分の「損」「得」で動く事が多い現代社会の中で、人のために動くことは、なかなかできないことです。
ボランティアの活動は、「徳」を積むことになり、「得」を得た被災した方々からは、感謝の言葉が返ってきます。
災害ボランティアの方々のような生き方ができる国会議員には、きっと感謝したくなると思います。
そんな国家議員を選ぶ目を国民がもっていれば、今回のような事は起こらないだろうと思います。
「損」「得」で、国会議員を選んでいる国民であれば、「損」「得」で動く国会議員を選ぶことになります。「徳」があるかないかで、国会議員を選ぶ事ができれば、「徳」のある国会議員を選ぶ事ができます。
誰の中にも「徳」はあります。
それに気づいていないだけです。
そして、
「徳」は、日々の取り組みの中にあります。
相手を思いやる言葉や態度に現れ、感謝したくなります。
権力で人を動かしたり、自分勝手な言動をしたりする姿からは、思いやりを感じることはなく、感謝の気持ちは湧き上がりません。
自ら「徳」を積む人であれば、「徳」のある人を容易に見つける事ができます。
負担の中に「徳」があります。
「損」の中に「徳」があります。
壁の向こうに「徳」があります。
我慢の中に「徳」があります。
「無駄」や「無理」の中に「徳」があります。
ほんの少しの勇気が、「徳」への挑戦につながります。
自らを磨くチャンスになります。
「徳」を見る目を養って、「徳」のある人を見極めたいものです。