可能性を広げるのは、意思
「これは大事にしたい。」という価値観を1つや2つを誰もが持っていると思います。
私にも「時間厳守」「思いやり」などがあります。
「時間厳守」について考えてみると、
私は両親が共働きのため、祖母に育てられました。
大変厳しい人で、夕方5時までに帰って来ないと玄関に鍵がかけられていて、家の中に入らせてもらえなかった体験が何度もありました。
また、時間に遅れると、叱られて、よく泣いた記憶があります。押入れに入れられた体験もあります。
そのお陰で、時間には厳しくなり、遅刻する事は、ほとんどありませんでした。教師になると時間通りに学習を始め、時間通りに終わる事にこだわり、役に立っていました。また、授業に遅れる子に対しても厳しく注意をした覚えがあります。
次第に時間については自分にも他人にも厳しくなり、時間にルーズな人を見ると腹が立つことは日常的でした。自分自身、必ず約束の15分前には約束場所に着くようします。遠くであれば、2時間前に到着できるようにスケジュールを組みました。
また、時間を効率的に使い、待ち時間を作らないように早め早めに仕事をし、段取りよく仕事をする事に心がけるようにもなりました。
私自身は、この時間厳守の価値観は、私にとって役に立つよい価値観だと思いましたが、他者にも厳しくなり、こちらは何とも言えません。遅刻者がいるとイライラする事も多いため、「時間厳守」を多少緩める努力をしました。。
この事から考えると、時間厳守という価値観=自分ではない事がわかります。
・過去から受け継いだもので、自分ではありません。
・繰り返すことで強化できるもので、自分ではありません。
・努力する事で変える事ができ、自分ではありません。
価値観は、生きやすくするために調整可能な大切な部下のようです。
そして、価値観と自分を重ねている時は、時間に縛られ、時間を守ることに一喜一憂していました。
・「時間に間に合った。人に迷惑をかけずに済んだ。よかった。」
・「遅刻しても平気でいるすがに腹が立って仕方がない。」
・「時間までに仕上げるために、残念だけど、あの約束は、キャンセルだ。」 など
時間に振り回されて生活をしていた感じさえしました。
価値観を自分から切り離して、観察できるようになると、自由にその価値観を操り、柔軟に活用できるようになりました。
・「お互い様、都合よく間に合うことばかりではない。」
・「遅れても仕方がない。事故に遭っていなくて一安心した。」
・「大丈夫。最悪、来月までに間に合えば、いいから。」 など
時間厳守は大事な価値観ですが、上手く生きていくための道具の一つです。状況に応じて使い方を考える事ができるので、変化の激しい時代には、大いに役立ちます。
価値観=自分 ではありません。