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コラム

利己心と利他心

2023年12月6日

テーマ:生き方

コラムカテゴリ:くらし

 私は、下校時の見守りを行っていますが、インフルエンザ感染後、やっていませんでした。
 本日から再開する予定でしたが、畑仕事をしている最中に耕運機の部品がなくなってしまいました。
 迎えの時刻になっても見当たりません。
 結局、本日の見守りができませんでした。

 見守りの時刻を気にせずに、部品を探し続けていたかといえば、そうではありません。
 「子ども見守りに行くべきか」それとも「部品を探し続けるべきか」
のどちらを選べばよいか、葛藤してる自分がいました。
部品を探したい自分は、
 ・暗くなる前に探したいと思ったこと
 ・耕運機が使えなくなると今後の畑仕事に支障を来たすこと
 ・見守りを始めると、その後預かり事業があり、探す時間がなくなること
 ・再開が1日遅れても、大きな影響がないこと
 ・見守りはボランティアであり、義務ではないこと
と、「部品を探す」を選択するための言い訳が、次から次へと湧き上がってきました。

 部品をなくし、高ぶった感情を抑える事ができず、感情に思考が踊らされ、身体もそれに従っている感じです。

これに対抗するかのように
子ども見守りをしたがっている自分は、
・長い間休んだので、子どもたちに会いたいこと
・代わりにやっていただける方がいないこと
・先生方からの信頼を裏切る事はできないこと

 利己心と利他心がせめぎ合いをしています。

 今回は、「利己心」を選択しました。

 これまで、利己心を優先させる事に罪悪感を感じることがありましたが、少し角が取れた感じがします。

 柔軟に対応する事が無理のない、生き方につながるように感じました。

 日々の自分見つめが、役に立っているようです。


 
 


 普通の状態ならば、起きるはずのない出来事が起きました。

神様に試されている事に気づきました。

 子どもの見守りは、子どものためでもありますが、どこかで、誰かに見られている事を意識しているように思いました。
 地域の人から承認されてがっている自分がありました。

 子どもの下校時の安全を守ることであれば、耕運機の部品よりも優先すべき取り組みと考え、動く事ができますが、それほど強い意思がないことがわかりました。

 ・私がいなくても、十分安全な通学路であること
 ・高学年の子どもたちと一緒だから、低学年の子どもたちは守られていること
 ・ただ、10分程度のウォーキングの時間がなくなること

 子どもの見守りについて考えるよい機会になりました。

この記事を書いたプロ

須田敏男

長年にわたる小学校の教頭の経験を活かした家庭支援のプロ

須田敏男(あすなろ教室)

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