依存と自立(役割に責任を取る自分)
孫が、ピアノの練習のために我が家に来ました。
ピアノの発表会が近づいているので、気になっているようです。
少し練習不足だと思い、アドバイスをしようと思いましたが、ちょっと躊躇いました。
まずは、孫の意識を探り、その意識に合わせて話を進めた方がよいかと思い、
「今のは、何点ぐらい?」
と、尋ねてみました。
60点ぐらいと答えてくれました。本人は、まだ2週間あるので大丈夫だと話してくれました。
すぐにそれを受け入れればよかったのですが、2週間では足りないのではないかと思い、
「2週間しかないの?」
と、言ってしまいました。
やる気を削ぐ事になってしまう言葉かけになってしまったと、反省しました。
この原因を探ってみる事にしました。
躊躇った時点では、まだ冷静さがあり、何とか前向きになって、効率よく練習を続けてほしいと思っていましたが、危機感をあまり感じていない事に苛立ちを覚え、感情が湧き上がってきました。
その感情に流されて、つい口から「2週間しかないの?」と、言ってしまいました。
湧き上がった感情に呼応して、すぐに言葉に出す自分がいます。
一旦感情を鎮めてから、言葉を発すれば、きっと別の言葉が浮かび上がるのではないかと思いました。
「2週間で、どんな練習をするの?」
と、相手の意識に合わせた言葉を使えば、当初の願いを達成するための次の行動につながったのではないかと思いました。
感情に左右される自分を見つめると、軸がぶれてしまっている事に気づきました。
いつも軸がぶれるかと言えば、そうではありません。
深く見つめていくとどうも生き方にぶち当たりました。
孫には、こんな生き方をして欲しいとの願いが強く、完璧さを認め、至らない点を見つけると、その点が気になり、指摘したくなってしまっています。
我が子を育てた時の思いが蘇ってきます。
視野が狭くなっている自分に気づきました。
自分を見つめる材料は、身近なところに沢山あります。
立ち止まる機会を作る事が自分を成長させる機会になると改めて思いました。