限界に挑戦
母の三回忌の折に、僧侶の法話を聴く機会に恵まれました。
最近読まれている本を元に、科学と宗教とのつながりから法要の意味を伝えようされている事がわかりました。
ただ、一般の方には少々難しい話のように感じました。
以前、脳科学者と宗教家の対談をテレビで視聴した事があり、何となく、目に見えない世界と目に見える世界のつながりがあると感じていたので、私には法話が何となくわかりました。
私たちは3次元の世界に生きていますが、これに時間軸を加えた4次元の世界で生きていく事が人間の進化の方向ではないかと思います。
例えば、プロゴルファーが、小さなカップにボールを入れるために繰り返し、練習を重ねます。するとボールの軌道をイメージする事ができるようになり、その軌道に合わせてボールを転がす事ができるようになっていきます。
ゴルフをしない私には、その軌道は全く見えませんし、カップに入れることさえできません。
これはゴルフに限ったことではありません。
料理人であれば、食材から美味しい料理ができるまでの過程をイメージする事ができます。
私には、その過程は全く見えません。何度も繰り返し料理を作ることで、その過程が見えてくるのだろうと思います。
大工であれば、何度も家を建てる体験をしているので、家ができるまでの家ができるまでの過程が見えていると思います。
そして、これはプロの仕事だけではありません。
私たちが繰り返し練習をすることで、見えてくる事があります。
整理整頓でも、どのように物を扱うとよいかが、見えている人は、整理整頓がうまくできます。
時間厳守の人は、時間を守る事で見える世界があります。
それは、守れる時間の流れが見えているからです。
綺麗好きな人には、綺麗に整った世界が見えています。
それは、綺麗に整うまでの流れが見えているからです。
お化粧する人には、化粧で仕上がった自分が見えています。
それは、綺麗に仕上がるまでの流れが見えているからです。
時間軸は、私たちの日々の暮らしの中で、繰り返ししている事で見える世界を作っているように思います。
もし、人の道があるとしたら、人の道を磨く事を繰り返しすることで、人の道が見えてくるのかもしれません。
僧侶の方が修業されるのは、正にこの人の道が見えるようになるためのもののように思います。
このように考えると、人の道は、誰もが体験しているので、早いか遅いかの違いがあるけれど、様々な体験をし、学ぶ事で、誰もが見えるようになるのではないかと思います。
過去を大事にしながら今を生きる事は、進化につながりますが、「今だけ」を見て今を生きる事は、退化になります。
過去を見る事は4次元の世界になりますが、今だけを見ている事は、3次元の世界です。
自分さえよければよいと他者との関わりを避け、自分の世界で生きている事は、広い視野から見ると1次元に見えてきます。
一人で悩んだり、苦しんだりしている事は、視野が狭くなり、1次元の世界でしか物事を捉えることができなくなっている証のようにも思います。
例えば、
自分だけでなく、誰にでも起こりうる事
長い人生のほんの一瞬の出来事である事
苦しい事だけが人生ではない事
など視野を広げると、どれだけ視野を狭くして悩んでいるかがわかります。
その時々の苦しみや辛さは、体験の一つひとつに過ぎません。
どんな事が起きても、自分の人生のほんの一コマになります。全て僧侶の修業と同じです。体験して初めて成長に繋げる事ができます。
苦しさや悲しみは、悲観の材料ではなく、人の道を極めるための材料の一つです。料理人の扱う食材の一つと考えることもできます。
僧侶の話を聴き、自分なりに「人の道」を探る機会になりました。
私には、まだまだ見えない世界が広がっています。
先祖に感謝し、学びを続け、「人の道」の見える範囲を広げていきたいと思いました。